実感した
 


 機械(とりわけオートメ―ション機械)と違って、道具は「己(の甲斐性)が使いこなしている」との気分にさせられますから、次々と技を磨きたくなるだけでなく、手順の良さや、段取りの良さ、あるいは間の取り方などへの配慮を学ばされます。そしてその配慮の癖が、日常生活を生き生きさせてくれます。

 たとえば、このたび、工作台やペンチなどを収納するためにワークルームに運び込みましたが、そこには風呂の焚き口があります。フト見ると風呂焚きで出た灰をためるバケツが一杯になっていました。このところ、書生が風呂焚きをしてくれますから、このバケツの点検ができていなかったわけです。早速、工作台やペンチなど積み荷を降ろして空になった一輪車に、その灰で一杯になったバケツを積みました。そして、コゴミなど山菜の根元などに肥料としてまいて回りながら薪小屋にたどり着いています。なぜなら、風呂焚き場の薪置き場が空になりかけていたことを見とがめていたからです。

 かくして、調理釜づくりで用いた道具を順次一輪車に積み込み、あちらこちらに収納して回ったわけですが、収納作業をたそがれ時に終わらせるまでに、他の幾つもの仕事を片づけています。まず風呂焚き場の灰を溜めるバケツを空にして戻し、次いで風呂焚き場の薪置き場を薪で一杯にしたわけですが、最後の作業は、タマネギ、ニラ、アスパラガス、そして成長が遅れているキャベツの畝にたっぷり寒肥を与えることでした。それは、温室にあるロッカーにスコップなどを運び込んでいる過程で、それらの畝のそばを通っていますが、とりわけ透明のビニールでトンネル栽培しているキャベツが液肥を求めていたことを見とがめていたからです。この間に、ペンキ仕事にも手を付けていたわけです。

 かねてから、門扉の近くに立てている道標が、ペンキが剥げて醜くなっていたのが気になっていました。そこで、「ついでに」と思い立ち、まず道標の塗り直しから手を付けたわけです。道標は、下地を塗り、その下地が乾いてから文字を書き込みます。この下地が乾く間に、主たるペンキ塗りをしたわけです。それは、「思い入れが強い木の椅子」の塗り直しです。この白いペンキで仕上げた椅子を調理窯づくりで用いましたから、耐火漆喰や煉瓦の粉ですっかり汚してしまったのです。タワシで汚れを洗い落とすとペンキまですっかり剥げ落ちてしまいました。これがキッカケで「道標も」となった次第です。