竹下通りは代わり映えがせず
 

 Recouture塾展には、独立行政法人環境再生保全機構や、経済産業省製造産業局繊維課の人をはじめ大勢の人に駆け付けてもらい、賑わいました。商社時代に知り合った大勢の人と旧交を温め、近いうちに訪ねる約束もしました。優秀作品は来訪者の投票で決め、篤志家の寄付を得て賞状には副賞を添えられました。

 私はあいさつで、50年前の思い出から切り出しました。社会人になると、あらかたの人は全国の街角にあった仕立屋で、男は背広を、女はスーツとかドレスを仕立て、入社式に臨んだものです。ワイシャツやブラウスも、お仕立てがまかり通っていました。

 いまや既製服が当たり前です。同様のような激変が、これから生じるかもしれない。そういう思いを3分ほどかけて語りました。わが国は、服飾デザイナーを養成する学校がゴマンとあり、大勢のデザイナー志望者を輩出しています。このエネルギーや情熱をどのように生かせばよいのか。戦略が求められています。その夢を語りました。

 地元に詳しい人は、来賓あいさつで、竹下通の一帯は、50年目は住宅街で、竹下口は夕刻4時を過ぎると閉鎖された。乗降客がいなくなった、と語り始めました。それが、竹の子族の出現で一変するようになり、今も竹の子族と代わり映えしない若者がたむろしており、工業社会に翻弄された人たちのたまり場のような様相を呈しています。
 

大勢の人に駆け付けてもらい、賑わいました

工業社会に翻弄された人たちのたまり場

Recouture塾展