「百姓」
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幕末期の「百姓」とは、農業という職業従事者(農家)の呼称ではなく、「村の構成員として認知された者」との意味で用いられていたのです。つまり「百姓」とは、経営をできる限り多角化し、家族労働力を可能な限り様々な生業に効率的に配分することにより、生活を維持しようとしていました。したがって百姓各家の経済力は、必ずしも所自地の規模だけでは測れるものではなく、たとえば家族のだれかが奉公に出て給金を稼ぐ場合のように、土地所持とは関係のない家計収入もあったわけです。 当時の村内には所持地ゼロの家も数多くありました。この家は水呑(みずのみ)とよばれており、一人前の「百姓」とは認められてはいませんでした。このやむをえない事情で土地を手放さざるを得なかった村人に対して、「無年期的質地請戻し慣行」とよばれる救済策が用意されていました。それは、手放さざるを得なかった土地を後日取り戻せるようにするための独自の慣行です。質地とは借金の担保として質入れした土地のことです。その土地は、期限が来たときに受け戻さないと質流れになってしまいます。しかし、その後でも、それから何年経っていても、元金を返済しさえすれば請け戻させるという慣行です。これは幕府や大名が保証したものではなく、村の掟や取り決めによって有効性が保証されていたのです。 この度の合宿で、こうした事実を知った私は、2つの過去を思い出し、膝を打っています。 まず、何年か前に『いきいき』という雑誌の取材があった時のことです。その時のライターは、アイトワの生き方を「江戸時代の生活を近代的にやっているようなものです」と表現していたのです。思い返せば、まことに含蓄のある表現であったようです。なぜなら、わが家の生活は、もちろん道半ばですが、次のような想いを込めて繰り広げてきたからです。 次に私は1972年から「第4時代到来論」を叫び始めていますが、この提唱を振り返ったのです。第4時代とは、(早晩破綻するであろう)工業社会に次ぐ時代のことで、それは「ポスト消費者社会」であると見定めています。そして、次代のフラッグマン(旗手)になる人の姿を想定し、VIBGYOR COLLARという名称を与え、その信条を明らかにしています。 ちなみに、拙著(処女作)『ビブギオールカラー ポスト消費社会の旗手たち』(朝日新聞社 1988)の中で「VIBGYOR COLLARの信条」を下記のように紹介しています。
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