よい供養をした
 

 

 父は私の構想を支持していました。つまり、庭を「目の保養の場」にしたり、「野菜や薪を生産する場」とするにとどめず、リビングシステム(生活の基盤)」として仕立て上げようとする私を父は支持していました。それは、その気にさえなれば誰にでもできそうな構想だけど、その気になる人が少なそうに見ていたからだと思います。

 問題は、なかなかその気にさせない近年の社会風潮です。そこまでシンドイことをしなくても、との気にさせがちになる社会です。そこに落とし穴が用意されているわけですが、そうとは気づかせず、いわゆる楽な方向に走らせがな社会になっています。TVなどのCMはもとより、TV番組自体の多くも、むしろ逆の方向に走らせがちにする内容です。それを罠のように見た私を父は支持したわけですが、おかげで父と子の心をうまく通わせ、なごやかな気分にさせました。

 このたびの7人の学生はもとより、助っ人としてこの庭に訪れる若者に、私はいつもその気になって手を付けたら「案ずるより産むがやすし」であることに気付いてもらったり、その気をはぐくみたくて、それぞれの「作業の狙いや意義」を心得てもらったりするようにしています。生前の父は、そうしたことに私が気付いて取り組んでいると思えたときに、いつも安堵の念を浮かべていました。