ヤギの生息調査をした丹生谷さん
 

 軽トラックにFRPのボートを積んで松山を出発し、フェリーで中島に到着。そこからボートで4.8km離れた大舘場(おおたちば)という小さな島に,港などないので苦労して上陸。調査を始めたといいます。その島は、敗戦後の食糧事情が悪かったころに活躍したヤギの捨て場であったのです。人工母乳が出回ったころから、捨てられ始めたヤギが生き残り、ハーレムを作っていたのではないでしょうか。大きな角を備えたは子牛ほどの雄ヤギに威嚇されたといいます。

 その1泊2日の踏査中にヤギと会話ができた、との話もありました。そのきっかけは、カレーライスを作って食べたことです。大きな声で「うめー」と叫んだら、ヤギガ「メー」と応えたそうです。