当日も、アリエさんが畑仕事の最中に訪れました。インゲンマメマメの手入れの最中でした。その手を休めることなく、遠路駆けつけた私たちの話し相手になってもらえました。先立たれた夫が残したという手作りの野小屋がありました。そのわずかな屋根に降った雨も逃がすまいとする仕掛けも見ました。
東側は小高い山にさえぎられた畑地でしたが、南側は海に開かれていました。朝日の他は、日光を十分に受け止められそうです。
畑の周辺も観て回りました。「医者いらず」と呼ばれるキランソウがたくさん生えていましたし、野生のナタツナミソウや黄花ケマンソウが咲いていたので驚かされました。一帯では、サクラ、レンギョウ、あるいはハナスオウなどが満開でした。
海辺にも踏み込みました。波で削られ、ことごとく丸まった大小さまざまな彩の石の浜を、滑らないように歩きました。たくさん貝がありましたがとても小さい。ウニも岩陰にたくさん隠れていましたが、小さかった。ためしに割ってみると、小さな卵巣が出てきましたが、マッチの先ほどしかないのにとても美味でした。
その夜は、アリエさんの家から歩いて1分の民宿に泊まりました。初めて味わうガマやカタキャな6種の貝と、アコウのたたきをはじめ3種の魚、そしてイカとタコ。海草のうまかった。民衆の主が捕った海の幸です。翌朝は、アリエさんの息子さんが釣ったというガシラが届けられ、味噌汁になって出ました。
翌日は、息子さんの運転で島めぐりをしたあと、再びアリエさんを、自宅に隣接した畑の手入れ中に訪れました。この時は、しばらくすると手を休め、腰かけて話し相手になってもらえました。風はまだ肌寒かったのですが陽射しが強く、心地よく語り合えました。
人生で、何が嬉しかったのか、悲しかったのか、といった野暮な質問をしたかったのです。なぜなら前日、グラマンに追い回された話などが出ていたからです。昭和22年に電灯がともるまで電気が期待なかった島にも、アメリカ軍は戦闘機で攻撃させていたのです。走り回って逃げ、時には農作物の陰に隠れた、といったような話もありました。
何が嬉しかったのか、悲しかったのか、という質問をよきタイミングを見計らってぶつけましたが、まったく反応がなく、さまざまな思い出話を次から次へとしてもらいました。幼いころの思い出話もありました。元旦に目覚めると、枕元に新しい着物とスポンジの手毬が置いてあったそうです。
この人には「被疑者意識はないのだろう」と思わせられました。グラマンに追い回された話も、いわば真剣になった鬼ごっこをであったようです。畑仕事に出られないほど雨が強い日が一番不愉快だそうですがに、それが猫背にしたようです。でも、「これが勲章」と、にこやかです。
「そうだったのか」と奇妙な得心をして、共感を覚えました。日々の生活の営み自体が、つまり何ものにも寄生せず、己の力で真剣に生きている日々の営みが、一番充実した気と安堵の気分にしてくれるのでしょう。風がやみ、陽射しが強くなり、やむなく私は立ち上がりました。話題をかて、アリエさん愛用の道具を見せてもらうことにしたのです。その親から引き継いだのではないか、と思われるような手打ちの錆が出た道具で、はつらつと生きていました。
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