今は亡き父の「いっそのこと死んでしまえ」との叫び声を思い出したからです。私が幼子であった頃(?)の思い出です。会社から帰宅した父が、私が大怪我をしたことを母から聴かされ、玄関から私が寝ている部屋までドタバタと廊下を踏み鳴らしながら叫んだのです。その時に私は、父の私を愛する想いの深さを思い知らされています。
父は、想像したより私の怪我が軽かったことを見て取ったようで、部屋を出てゆきましたが、その姿を追いながら母はポツリと、「お父さんは鬼のようだ」と口にしました。その時から、母は父を見る目を変えています。その程度の理解しかできない人だ、と私は見るようになっています。もちろん、それは母を蔑んだのではなく、「ボクが守らなくてはいけない」人だ、と思ったわけです。そのころに私は乳離れしたのではないか、と私は思っています。
実は、この義弟のガンが発見されたときに、私は妻と義妹に1つの提案をしています。ちょうどそのころ、橋本宙八さんがガンの専門医と組んで、食事療法を主とした「免疫力を高める方法でガンを治療する試み」に手を付けようとしていました。時同じく、私は『今こそ、丸山ワクチンを見直そう』とでも言ったような本を読んでいました。
ガン細胞は先祖返り、と私は思っています。私たちは毎日細胞を更新して生きていますが、その更新時にミスプリントが生じかねません。そのミスプリントされた細胞が先祖返りの細胞であった場合が「ガン発症のきっかけ」です。すべての生き物にとっての「共通の祖先」が知られるようになっていますが、それはひたすら分裂を繰り返し、栄養が尽きない限り永遠に死ねない単細胞だと聞いています。私たちはミスプリントをして毎日のごとく、その細胞を生み出しているそうです。もちろん加齢ともにその率は高まりかねないことでしょう。
そのミスプリントを減らしたり、ミスプリントされてしまった細胞を排除したりする己の体力を高めないと、つまり免疫力を高めないと、ガン発症からは免れないはず、と私は思います。そうと気づいたガン専門医が、橋本宙八さんと組んだ試みをする、と聴きましたから、私は勧めたのです。ところが、義弟は近代医療といわれる対処療法を選んだのです。
その後、私は友人2人と四国の伊方に出かけ、橋本宙八さんの「半断食療法の合宿」に参加しています。そこに「ステージ4」というガン患者が1人、手厚い付き添いを得て参加していました。私の友人の1人は、関東から飛行機で参加したのですが、そうとは知らずに、この患者に空港まで出迎えてもらい、合宿場まで連れられていました。
この患者は、橋本宙八さんの気配りや目配りだけでなく、付き添っている友人の気配りや世話の恩恵にあずかっていました。その情景に触れ、私は「マザーテレサ」を思い出しています。彼女が開いていた施設の一つをインドに訪ねた時のことです。人はいかに死ぬべきか。人はいかに死を迎えたらよいのか。いかに人は病魔と闘えばよいのか。こうしたことを考えさされています。
そんなこんなの思い出が錯綜し、ここで妻に口をきいてはいけない、と考えたのです。
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