それは義弟の死が原因です。そのくやしさをうまく言葉に表せないのももどかしくて、スッキリしない日々が続きました。でも週末近くの出張中に、この件について幾度か思いをはせており、心の整理がほぼつきました。
心がすっきりしなかったわけは、2つに整理しました。まず、義弟が選択と決断を間違ったのではないか、と思ってムシャクシャしていたことです。次いで、その悔しさをうまく言葉にできなかったことです。そして、結局は、それが義弟の運命であったのだ、と整理したわけです。義弟の冷たくなった額に手を当てながら、義妹がとてもかわいそうに思っています。
要は、医者と患者の関係は、科学や技術の関係よりも、私は信頼の関係が大切だと思っています。それは結婚でも同じことでしょう。この先生になら「たとえしくじられても本望」との覚悟の下に選択したいものですし、そう選択される先生であってほしく思っています。
近代医療は、増殖中のガン細胞を、抗がん剤や放射線などでたたいたり、体を切開して切り取ったりする対処療法に走りがちですが、本当にそれらが望ましい治療なのか、との疑問を抱いています。本来の治療は、ガン細胞が増殖しないように免疫力などを高めることが真の科学的方法ではないか、との疑問です。私の目には、対処療法は、ややもすれば科学的にではなく、経済的な誘惑に駆られがちにさせかねなく映ります。それが被保険者の心まで不健康にし、健康保険制度の破たんを速めているのではないでしょうか。
この度の伊方での半断食には、1年と7か月前に近代医学でステージ4と診断されたガン患者が1人、この治療法を推薦した人の手厚い看護も受けながら参加していました。この人は、これまでに幾度かこの半断食合宿にいどんでおり、合宿と合宿の間は食事内容とそのとり方の指導に従い、闘病生活の日々を送っていました。ちなみに、私がこの合宿に誘った1人は、関東から飛行機で参加しましたが、最寄りの空港まで(そうとは知らずに)このガン患者に車で出迎えてもらっています。それがこの人の選択であり、運命なのだろうと思いました。
前回の週記で、私が幼少期に大怪我をした時に父が叫んだ言葉「いっそのこと死んでしまえ」を私は思い出しています。そしてこの言葉を聴いた母が「お父さんは鬼のような人」と嘆き、その嘆きを知って、私はいわゆる「乳離れ」の大きな1つのきっかけにした、と触れました。その折の心境も、私なりに紐解きました。それはきっと、それまでに私は幾度も父から注意を、たとえば「階段には登るな」などとうながされていたに違いありません。その注意をきっと私は破りでもしたのでしょう。だから父に「いっそのこと死んでしまえ」との言葉を発せさせたのでしょう。私が逆の立場なら、きっと父と同じ言葉を発するに違いありません。だから当時、私は反省させられると同時に、父の深い愛情を実感したのでしょう。もちろん母は、もっと厳しく「階段には登らせるな」などと父から注意を促されていたに違いありません。にもかかわらず、母は父の「言葉尻」に振り回されおり、その点に私は頼りなさを感じたのではないでしょうか。
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