父の片身のごときシュンラン
 

 妻が嫁いできて間なしのころに、庭掃除をしていた妻は父に「こっちに来てごらん」と呼ばれたそうです。父が、庭の南西部の一角(そこは後年「イノシシスロープ」と呼ぶようになった坂道の一角で、庭の南面に沿って東西方向に伸びており、その西のはずれ)で、自然生えのシュンランを見つけた時のことです。

 その後、私は庭の整備を進めるにつれて、フキ、ミョウガ、あるいはワラビなど自然生えのさまざまな野草の生き場所を定めていますが、このシュンランについては、大勢の人にも愛でてもらえるように、とその居場所を移動させています。それまでの森の中の木陰のようなところから、かなり日当たりが良い場所への移動でした。それが成功し、株は太り、近年では毎年10数本の花芽をたてる株の塊になっていました。その大塊の株が忽然と消えたのです。私は、たまにある自然現象であろう、とあきらめていました。ところがこのたび、石に間に広げた小さな1株を残し、大塊の株が根こそぎ盗られていたことに気付いたわけです。

 偶然とは面白いものです。その前日に、小雨を避けて温室仕事についていた私のところに、何を思ったのか、妻がいくつもの鉢植えやコケ玉を持ち込みました。それらの鉢植えやコケ玉をもらってから随分日にちが過ぎ去っていました。その鉢植えの1つの寄せ植えの中に、ショウジョウバカマや珍しいシダなどとともに、一株のシュンランが植えられていたのです。

 父は、農家の出で、植物を主にして生きものが大好きでした。しかし、豪農の出でしたから野良仕事をしたことがなく、鉢植え植物に凝ったり、金魚を飼ったりするだけにとどまって居ました。にもかかわらず、不治の病に倒れたときは、まったく農業経験のない母を口頭で指導し、妻子に農業で生き延びさせようとしています。ですから、父を忍ぶよりどころは限られています。かつて父が金魚を飼っていた鉢のとか、育てていた万年青(おもと)の生き残りが残っている程度です。それだけに、この父が庭で見つけた野生のシュンランは、在りし日の父の象徴のような存在でした。ですからこのシュンランを見かけるたびに、私は父を父がそこにいるような錯覚さえ覚えでいたものです。

 妻は山間で生まれ、小学校をあがるまで電気を知らずに育っています。ですから、妻は好奇心旺盛で、とりわけ珍しい生きものにとても敏感であり、感激します。また、父にとって妻は孫のような年頃でしたから、とても扱いやすかったようだし、妻も甘えていました。

 そのようなわけで、かつて父がこのシュンランを見つけたときのことを、妻を呼びつけた父や、呼びつけられた妻の反応などを、このシュンランを見るとよく連想したものです。

 そのシュンランが忽然と消えたのです。