妻に見事に切り返された
 

 

 「孝之さんのことだから」と、後年妻に切って返されました。私たちは職場結婚ですし、元は上司と部下の関係でした。そのパワーバランスが次第に崩れたころの話です。「切腹なら」、緒についたらその苦しさ紛れに「やりとげるに違いありません」と切り返されたわけです。もちろんこの妻の発言の前にも会話がありました。

 それは「もっと綺麗で、意志力の強さを思い知らせてくれる死に方を選んでください」でした。その死に方として、妻は「グッと息を止めて、窒息死してみせてください」と迫ったのです。それなら、わざわざ大がかりな買い物をせずとも済むし、いつでも決心した時に即座に実行できるし、はた迷惑ではない、というわけです。

 かくして刻々とパワーバランスは逆転現象を生じさせています。

 とはいえ、こうした意識が今の庭を造らせたのだと思っています。高度経済成長が軌道に乗った頃に、「やがて工業社会は(このような罰当たりなことをしていたら、きっと)破綻する」との危惧の念に駆られ、オルタナティブな生き方を求め、今の庭(リビングシステムとしての庭)の創出と、その生かし方に情熱を燃やすようになっています。

 このたび、書生の伸幸さんが立ち話をしたご夫妻は、この庭を見て「かつて見たことがない庭」と語っていただけたようです。ひょっとしてら、この庭の姿から、そうした人生のあり方、オルタナティブな選択と決断を感じ取っていただけたのではないでしょうか。ですから、私はほんの少し離れたところにいたのに、「お忙しそうだから」と言って、除草に熱中する私の作業を中断させまいとしてくださったもの、と見ていますが、お目にかかれなかったことがとても残念に思っています。このお二人の「人生の選択と決断」を聴きたくて仕方がありません。あえて加えれば、父の象徴がごときシュンランを盗んだ人のそれらとは対極であったに違いない、と思います。