自己実現の過程
 

 大学を卒業後、機械に強い大阪の商社に勤め、トップセールスマンとして腕を鳴らしながら途中で退職。その後、沖仲仕をはじめ様々な仕事に首を突っ込んだがいずれもあきたらず、郷里に戻って実家の稼業・築地魚の仲買人を勤めた、とのこと。これも2年ほどで放り出し、落ち着いたのが陶芸家。

 盆地の一角にある広々とした空間に、幾つも点在する建屋がその拠点でした。もちろん垣根などありませんし、垣根を必要とする機会がないのでしょう。

 様々なところで迎えてもらえた花は、地産池消でした。

 住みついた綾部の村人は「趣味でやってはる」と見ており、見学に来た大人には、これまでの紆余曲折した人生に首を傾げられるとか。小学生には「食べてゆけますか」と質問されたそう。しかし、この紆余曲折した人生を知った外国人には、とても関心を寄せられ、興味をそそられるようで、目を輝かせてもらえるそうです。私の目には、村山さんの紆余曲折は、私の場合と違って、もって生まれた潜在能力を見つける旅路であったようだ、と映りました。ですから、腰が落ち着き、かくも心にゆとりができたのだと思います。

 まず、あらゆることを秘密にしない。窯の見学や、釉薬、粘土、あるいは燃料など、何もかもの見学や質問には応えてもらえる。また、その哲学も開放している。哲学といえば大袈裟ですが、要は粘土は庭の土、燃料は廃材、土をひねっている過程で出た土はすべて還元など、「智を愛する心」です。

 まず、家屋を補修した時に「取り残した」という瓦(1862年・文久2年の時代)に心を惹かれました。瓦職人の命に触れたような気分にされたからです。次いで、フランスの知人が残していったという丸木彫りのカメルーンのベッド、娘が5歳の時に創ったというカメの蓋物、補修を重ねた家屋の部分、トイレの照明、腕利きがの左官が仕上げたという五右衛門風呂の壁やタイル、その楕円形の鉄釜は日本では5年ほどの期間につくられた1つ、とのこと。そしてそのいわれ。何もかもが魅力的に感じられました。

 もちろん作品の展示室も見学しました。蔵が展示と収納庫としていかされていました。どうしてもほしくなった品があり、幾つか妻と選びだして、分けてもらいました。
 


幾つも点在する建屋

幾つも点在する建屋

幾つも点在する建屋

花は、地産地消

花は、地産地消

花は、地産地消

花は、地産地消

村人は「趣味でやってはる」と見ており


粘土は庭の土

燃料は廃材

燃料は廃材

土はすべて還元

土はすべて還元

カメルーンのベッド

カメルーンのベッド(側面)

カメの蓋物

補修を重ねた家屋の部分

補修を重ねた家屋の部分

五右衛門風呂の壁やタイル

作品の展示室も見学しました

作品の展示室も見学しました

どうしてもほしくなった品