崩れ落ちかけた茅葺きの民家がありました。きっと葺き直す経済的なゆとりがなかったのでしょう。かつて、わが国では茅葺きと総称される民家が全国の随所で見られました。その素材は、ある地域では麦わら、ある地域では笹、あるいは葦、とさまざまですが、いずれもがそのお地域でたくさん採れる植物を刈り取って干し、屋根をふいていました。今日では、それらの植物は刈り取られずに野で朽ちるにまかされています。
貧しい農業時代には、この茅葺屋根が安くついたから多用されていたはずですが、経済的にははるかに豊かになった工業時代には、逆に高くつく屋根となり、すたれています。そこに私は、文明と文化が鬩ぎあいを見ています。うるわしき文化のありようが、文明のありように敗北させられた1つの査証、あるいは象徴と見ているわけです。
野生動物は今も、自然資産だけで生きている、といってよいでしょう。太陽の恵みを受けた自然資本が、光合成によって生み出す自然資産を当てにしていきています。それが生きる基盤です。しかし人間は、煮炊きを覚え、衣服をまとい、住まいをつくって暮らすようになり、相互扶助関係を濃密にして、人的資本を生かすようになったわけです。
短絡に言えば、「お金」が誕生するまでは、人間は自然資本と人的資本を駆使して生きていた、と言ってよいでしょう。つまり「結」は、「人的資本の貸借システム」であった、と見てよいでしょう。茅葺屋根は、そのシステムを活かせば、最も安価に作り出せたわけです。そうしたシステムを円滑に機能させる約束事が「文化」であった、と見るべきです。
つまり、文化が支配していた時代は、自然資本が生み出したカヤ、笹、ワラ、あるいはヨシやアシなどを刈り取って干しておき、決めた日に村人が総出でそれらを持ち出し、助け合って葺き上げる。この文化に従っておれば、「お金」が誕生したのちも、ほとんど「お金」(という手段としての機能に)に頼ることなく生み出せた屋根、ではなかったでしょうか。
それが今では、とても高くつく屋根になってしまっている。それは、あらかたの人が(手段として生み出された)「お金」を目的かのごとくに錯覚してしまい、「お金」や「お金での換算が容易な経済的資産」に目がくらむようになったせいだ、と考えてよいでしょう。それまでは、「人的資本の貸借」で済んでいた話が、人件費がかかわる話になったわけです。
この現象は、工業文明が行き渡るにしたがって、あらかたの人をその渦に巻き込み、「便利」とか「快適」などと引き換えに、「お金」がなければ生きづらい世の中にしたわけです。その陰で、自然破壊、資源枯渇、はたまた家庭崩壊などを進めさせています。にもかかわらず、そこに豊かさや幸せを見出すという錯覚を犯しているわけです。
この錯覚から多くの人が目覚めない限り、(経済的資本や経済的資産をモノサシとした)貧富格差はますます大きくなってゆくでしょう。消費税率も次第に高くなるでしょう。もっと残念なことは、自然資本と人的資本で成り立っていた社会で尊ばれていた人が、例えば職人などが、経済的資本に翻弄され、陰を薄めざるを得なかったことです。
さて、これからはどうなるのか。
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