夜一睡もできず、熟考
 

 彬さんと2週間にわたって行動を共にしました。おかげで、かつて彬さんと交流があった人と出会う機会に幾度か恵まれました。そこで分かったことですが、その人たちが決まったように、「よいヤツだけど」と、決まったように「けど」を付けたことです

 そこで、この「けど」とは何か、と気になったのです。すでに2週間を過ごしました。綾部と2日にわたって亀岡に出かけた他は、ほとんどの時間をわが家で過ごしており、彬さんと一緒に、主に庭仕事に当たっています。彬さんは、夕刻の犬の散歩や夜の風呂焚きもしてくれます。その仕事ぶりや、時間の観念、あるいはマナーなど幾つかの面で見えてきた点もありましたが、何よりも気になったことは一向に見えてこない点があったことです。人物像です。3日も旅行を一緒にすれば、おおよそは見えてくることが、見ていなかったのです。

 同じ屋根の下で半月も一緒に過ごし、3度の食事を共にし、夕食後には会話の時間を設けてきました。にもかかわらず、「けど」とは何かが少しは見えてこなかったのです。たとえば、どのような趣味の持ち主なのか、どのような人生を夢見ているのか、あるいはこれまで歩んできた足取りはなどが、さっぱり認識できていなかったのです。

 私は逆に、どうせ丸裸にならざるを得ない立場ですから、何もかもをさらけ出そうとしてきたつもりです。これまでの人生の軌跡やエピソードはもとより、どのような家庭を築こうとしてきたのか、あるいはいかなる精神世界に生きたいのかなど、積極的に語ったつもりです。

 人の性格を変えることは至難の業ですし、誰しも変えられたくないはずです。ですから私は、サラリーマン時代に、マーケッティングの仕事に関わっていたころに、当時としては画期的な手法に転換すべきだと気付かされ、その手法の採用を思い付き、相当掘り下げ、その様子は紙誌で注目されもしました。それは、いわば深層心理を明らかにして、その人物像に近づこうとする手法でした。その想い出も振り返り、なんとか「けど」に近づこうとしました。結局、堂々巡りを繰り返すばかりで、ついに夜が明けてしまいました。

 そこで私が下した結論は、少なくとも3か月間のトライアル期間中に、「これは!」と振り返りやすい思い出をつくってもらおう、ということでした。まず、禁煙。そして時間厳守。加えて飲酒のコントロール。この3つです。その上に、「多様な付加価値をうみだす作業の仕方」を覚えてもらいたい、と欲張ることにしました。その過程を丁寧にふんでゆけば、次代が求める新しい美意識や価値観の覚醒に誘ってもらえるはずです。

 彬さんは、いわば文明の落とし子のようなものです。大人世代がバブルに酔っていた時代に生まれ、三つ子の魂を育んでいます。その良さを、(短大勤めやその他の大学などでの教鞭を通して)私は十分に認めています。しかし、これから突入する時代は、文化を見直さなければならなくなる、と私は考えています。ですから、要注意です。

 そのときに、この良さをうまく活かせたら、とても素晴らしい人生を歩めるでしょう。その兆候は、たとえば若者の車離れなどで、現れ始めているように私は見ています。逆に、悪い方に出たら、とても不自由で窮屈な心境に追い込まれかねないでしょう。なんとしても、彬さんには、心の内で文明と文化を鬩ぎ合わせて、良い方向に雄飛する人になってもらいたく思っています。

 先週、彬さんが始めた3つのプランターを使った野菜の育成実験では、順調(?)に発芽しています。私にはまねできない種のまきかたです。なぜか私は心を惹かれています。