簾で母屋が一新
 

 母が生きていたら、たいそう喜んでいたことでしょう。網田さん特製の簾で、母屋が「家らしく」なりました。「好みは人それぞれ」でしょうが、私は大失敗を犯していたことに気づかされました。どうして母屋にこうした簾を備えて(あげて)おかなかったのか、との反省です。その気持ちは、母が残した既製品の簾を取り外して見て一層高まりました。母が墨で、その簾に書き残していた記録が目に入ったからです。

 平成8年に540円で買い求めたもので、今なら300年弱で売っていますが、母はその簾を毎年秋に取り外し、タワシで洗って干し、茶色い包装紙でくるんで初夏までしまい込んでいました。その簾には、用いる場所(縁側)をきちんと記していました。この簾を、なぜか捨てる気にはなれず、残しながら、母が死んだときのことを振り返りました。

 母の死後、遺品を点検し、形見分けにできそうなものは選び出していますが、その時のことです。それらの品々の中に、私が海外土産として買い求めてき「ワニ革」のハンドバッグなど、ブランド物がいくつも出てきました。そして、妻に「孝之さんもこんなものを買うことがあったんだ」と冷やかされた品々です。それらの品を、妻はもとより、だれも形見分けとして引き取る人はおらず、ゴミになりました。もちろん妻は、母が使い古した着物はもとより、パジャマも引き継ぎ、愛用しています。

 これらを買うお金を、どうして「こうした簾に生かしておかなかったのか」との反省です。網田さんの簾を眺めながら、せつに思いました。そうしておけば、母ももっと喜んでいたでしょうし、「これも母から引き継いだこと」を忍べたのに、と思ったわけです。