ここに至るまでにとても苦い思いをしています。了以翁400年忌記念事業を大々的に執り行う実行委員会の理事長をかつて引き受け、山折先生を代表者に担いで活動を始めましたが、途中で空中分解です。了以の同族会の人たちの間にいわゆる温度差があり、かき回されたかのようなことになったからです。とはいえ、心残りの課題を抱えました。朽ち果てかけていた千光寺・大悲閣を放っておいてなるものか、との想いでした。
その後、「嵐山大悲閣角倉了以翁400年忌奉賛会」が立ち上げられ、理事の1人に加えてもらえました。しかし、ここでも同族会の人たちの間に温度差が生じ、ギクシャクしました。しかし、何とか今日にこぎつけたわけで、幸いなことに大悲閣の改修ができる運びとなり、このたび角倉了以翁400年忌法要も執り行え、100人余が集ったわけです。当日、その後で改修なった大悲閣を訪れることになっていましたが、クラスメイトと会う予定を思い出し、変更し、妻も初めてでしたから、一緒にクラスメイトを案内することにしたわけです。
ちなみに、角倉了以翁400年忌法要の日に、帰途、境内に展示されていた了以の偉業を忍ぶ遺物・太い松の丸太で作った水道管を見学しました。近年の了以の遺構を工事中に、泥の中で眠っていたところを見つけたものですが、空気中に取り出され、朽ちるにまかされた状態です。
今日、水問題は深刻です。子どもたちに水問題をきちんと学んでもらう必要があります。その意味で、この遺物や遺構の写真などは、とても教育上で有効に活かせそうに思いました。つまり、日本の先人が「かくなる工夫を凝らして」水問題に取り組んでいたこと実感してもらい、意識を改革してもらう上でとても役立ちそうです。
わが家でさえ、優れた浄水機を導入しただけでなく、近年の集中豪雨に見舞われたことを教訓に、その対策を実施しました。それは、ドイツなどの博物館で目の当たりにして先人の工夫に学んだようなところがあります。要は、ヒト頼みではなく、自助努力に刺激されたものです。
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