彬さんに対する説教は、夕食後、私が風呂を浴びた後で始まりました。通常なら、彬さんが続いて湯を使うところですが、私は彬さんにある選択を迫りました。「今夜はこれで『おやすみ』とはならない」「分かっているね」と切り出し、(説教は)「風呂の後にするか、先か」と迫ったわけです。彼は、今か今かと覚悟をしていたようです。
まず彬さんに釈明の時間を与えました。もちろん、「釈明が不十分であれば、私は質問をする」と伝えました。その質疑応答いかんでは、私が「心を閉じる」であろう、と感じたはずです。もちろん、彬さんは当面の行きどころがありません。ですから「向こう2か月間の滞在は許す」とまず保証しました。書生として3か月間の試行期間を設けており、はや1か月が過ぎていました。
彬さんの釈明が始まりましたが、途中で妻が「どうして無断で」などと質問を挟み始めました。妻はその時まで何らの事情説明を聞いていなかったので、当然でしょう。驚きのあまりの確認事項であっようです。もちろん私は質問を中断させ、釈明を最後まで聴かせました。その釈明は不十分でした。しかし、言い訳がましい発言はありませんでした。
つくづく私は「長けたものだ」と私自身を振り返り、少し嫌気がさしました。やけに落ち着いていたのです。それは多分に、妻に、この日生じたことと次第を正確に知ってもらいたい、と願っていたからだ、と思います。他にも、私を冷静にした事情があります。ですから、複数の事例を引きながら、10数分を要して丁寧に問題点をあからさまにしました。
妻はすかさず「どうしてこのように」と、今度は私に矛先を向けました。「私にも順を追って説明してくれないんですか」との苦言を呈し、膨れました。妻とのケンカはいつも、頭ごなしになっていたからです。でも、その話は後回しにさせ、彬さんの問題に神経を集中するように勧めました。すぐさま妻は、思いつくところがあったようで、素直に従ってくれました。
先に「私を冷静にした事情がある」と述べましたが、その事情とは何か。2つあります。1つは、この日の昼間に生じていたことで、小鳥が関わった話です。2つ目の事情は、このたびの彬さんの作為を知った時間と、彬さんが帰宅した時間との間には2時間以上もの時差があったことです。つまり、気を落ち着かせる上で十分な時間を与えられていたわけです。
その間に、過去を振り返っています。それが、小鳥が関わった話のことです。週初めにその話を思い出させるシロモノを見つけていたのです。野小屋を整理していたときのことで、たまたま見かけたのです。それは鳥籠を吊るす支柱の一部・その頭部でした。かつて私は、篭でカナリヤを飼っていましたが、私の不注意で死なせています。今もなお、居間の前にあるテラスの一角には、鳥籠を吊る支柱を立てたコンクリートの基礎が残っています。
このたび、この頭部を見かけた折に、なぜか私はこの支柱を立てた基部があるテラスの一角まで運んでいます。そして写真に収め、翌日彬さんにこの支柱の頭部を分解して薪にさせています。私は、不注意でカナリヤを死なせた思い出を断ち切りたかったのかもしれません。実は当時、この一件がキッカケで、私は小鳥を鳥篭で飼うことをやめ、野鳥が庭で勝手に集うことを夢見るようになっています。こうした当時の事情を、鮮明に思い出していたのです。
彬さんと小鳥を一緒にしているようですが、決してそのつもりで持ち出した話ではありません。その逆です。私は数々の(尊い犠牲も伴った)失策を通さないと目覚めにくい性質であった、ということを自覚していたいのです。彬さんも、この点では私と似たところがある、と睨んでいたからです。もっと正確に言えば、「ここで生活している間に」(ケドを外させたい)彬さんには「机の上では学べないことを学んでもらいたい」と思うようになっていたのです。
このたびの彬さんの一件は作為でした。それだけに頭の良さを感じますし、その頭を良い方向に生かすクセを身に着けてもらいたい、と願う気持ちが生じていたのです。時間差が大きかったこともありがたかった。もちろん「ケド外し」を断念しようか、とも考えました。どうして「かくも私は失望しているのか」と、自分の見直しもしました。そのうえで、彬さんにここアイトワでは「机の上では学べないことを学んでもらいたい」と願うことにしたのです。
先ほど「すぐさま妻は、思いつくところがあったようだ」と述べましたが、それは前週のことです。私たち夫婦は夕食時に、とても激しい夫婦ゲンカをしています。彬さんは呆然として立ちすくんでいました。私が妻に「出て行け」とでも言っていようものなら、たちどころに離婚話は成立し、どちらかが出て行く羽目になっていたことでしょう。
にもかかわらず、そのキッカケを、今や私には思い出せません。それほど(一般家庭で言えば)些細なこと、たとえばガスの種火の消し忘れなど、であったと思います。要は、妻が「ごめんなさい」とでも言って直ちに改めておれば、それまでの話であったはずです。
ところが、妻は彬さんの手前か、抵抗したくなったのでしょう。素直に非を認めず、従って「ごめんなさい」との言葉が出ず、言い訳(つまり、自己正当化の試み)でもしたように記憶しています。その態度や姿勢のままでは、自信に満ちた生き方はできないはず、と私は見ています。
これは私の体験であり、私の勝手な想いですが、たとえば知らないことが多すぎた頃は、かえって「知りません」とは言いにくかったのです。あるいは、自分に生きる自信がなかったころは、率直に謝れなかったのです。そのころから比べると、今はかなり多くのことを知るようになっています。生きる自信も、つまり死ぬ覚悟もいささかは備えたたつもりです。この過程を振り返ると、私は途中で態度や姿勢を変えています。今では知らないことを「知らない」と言えるだけでなく、「知らなかった」と驚き、知り得たことを喜べるようになっています。また、率直に謝ることが増えているはずです。むしろ叱られたことに感謝するようになったように思います。こうした態度や姿勢になるにしたがって、いろいろな恐怖心を減らすことができたように思います。
このたびの妻との大ゲンカは、妻が膨れて発言拒否のような雰囲気になり、収束に向かいました。そこで、私は彬さんに呼びかけています。
「君が叱られていたことが分かっていますか」と問いかけたのです。すると彼は、素直にうなずき、認めました。ですから私は、「実は、君の身代わりになって妻が叱られたんだよ」と言い直し、そのうえで、「妻となら(私は)いつでも修復の機会があるからネ」と、つなぎはじめました。そこでまた、妻が口を挟み「修復できないこともありますからね。覚悟しておいてください」と、こんどはすごみました。
しかし私はこれを無視して、彬さんに向かって「フイップボーイという言葉を知っていますか」と知ったかぶりをしています。それはたしか、イギリスのイートン校を訪れたときに聞いた話です。ムチ(鞭・フイップ)を用いて教育をしていたようですが、ムチの打たれ役(フイップボーイ)がいた、というのです。王子と同級生であったチャーチル(後の首相)は王子の身代わりのごとく、王子と同様のイタズラをしたときに、ことさら厳しく鞭打たれた、と聴きました。
次いで私は、「妻は『打たれ強い人』だから」と彬さんに向かって「君の身代わりになったんだよ」と継ぎ足しました。ここでまた、妻はブツブツ(それは勝手な見方ですとか何とか)言っていましたが、かくしてこの一件は収束に向かいました。
この一件を、きっと彬さんは(私のこのたびの物静かな説教を受けながら)思い出していたはずです。ほんの2〜3日前の出来事だったのですから。
このあたりで、私は彬さんに「風呂を使いなさい」と、急き立てたように思います。実は、彬さんは、このときすでに(別件の)たわいのない新たな失策をおかしていたのです。しかし、その指摘はあえて翌日に回しています。それは濡れ雑巾が関わっている話です。
実は、当日、彬さんは帰宅後、(野良着に着替えずに)バツが悪そうにヘップサンダル姿のまま、一輪車で土を運ぶなどの力仕事に取り組んでいます。その時に私は1つの注意を与えています。「家に入るときは足を洗わないといけないよ」との注意です。その注意に彬さんは従いましたが、濡れ雑巾を母屋の木の手すりの上に被せたまま(干したつもり?)にしていたのです。
翌早朝、私が庭に出ていたら、彬さんが(珍しく早起きしたようで)庭に出てきて、朝の挨拶をしてくれました。そのときに、初めて私は雑巾の一件を持ち出しています。白木のごとき手すりの上に塗れたものを被せたまましておくと、塗装が剥げる恐れがある、との注意です。
結果、シミが残りました。彬さんも、シミは乾いたあとも消えないことを確認したようです。しかしこれは、私にとっては「(今後のための)想定内のこと」でした。この失敗を教訓にして、彬さんにも、ヒトサマから「注意」を受ければ、素直に受け止められる人になってもらいたい、と願ってシミがつくにまかせていたのです。きっとこうした(白木という自然物と関わる)体験を通した指導方法のほうが、彬さんには骨身にしみるだろう、と見たのです。
ですから、週末には、彬さんに温室のガラスを補修してもらっています。それは、2年ほど前に佛教大学の学生の1人(で、屋根部分を受け持った人)が、ヒビを入れたことがキッカケで生じた傷です。他にも、鉈の刃をぼろぼろにした学生もいました。刃が欠けていることに気づかずに、同じ使い方を繰り返したのでしょう。こうした失策は、事前に十分予測できますが、例外を除いて、私は(注意すべきことなどを)問われない限り事前に助言しないことにしています。例外とは、大怪我をしかねない作業の場合です。その場合も、自己責任の自覚を言い聞かせることを第一にしています。
現に、注意などしなくとも、彬さんは過日の掃除で屋根部分を担当しましたが、ヒビを入れていません。高本さんは狭いところでの作業でしたし、小谷さんは天井を拭う、最もつらい作業でしたが、足元に並んでいた植木鉢や苗箱を一切傷めていません。
世の中には、「机の上では学べない智」が多々あるように思っています。体験を通して学ばなければ身につかない智があるのではないでしょうか。その多くは、自然(片時もジッとしていない、同じコトを繰り返さない、あるいは同じモノを2度と生み出さないなど)の懐に抱かれ、誰しもが持って生まれている「人それぞれの」固有の潜在能力に火をともしてもらえないと身に着けられない智です。これこそが「ヒト」を「人」にする智ではないでしょうか。
アリストテレスは2300年も前に、この智について触れていたのではありませんか。人間には2つの徳が必要だと指摘したうえで、1つは教育によって習得できる知性的な徳であり、他の1つは机の上では育めない徳である、と述べています。それは幼児期の習慣が養わせる倫理的な徳であり、誰しもが生まれたときに備えている1つの素養が触発の機会を得て覚醒し、自ら習得しながら身に着けてゆく真に倫理的な徳である、との指摘です。この場合の触発の機会とは何か、おそらくそれは「自然の摂理」であるに違いない、と私は睨んでいます。
このようなことを考えたり願ったりしながら、このたびは、はからずも妻まで巻き込んでしまい、彬さんの「ケド外し」の一端に挑戦しましたが、わが身を危うい立場に追い込みかねなかった次第です。
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