木苺の支柱の移動
 

 温室を作ったのは、たしか1985年(アイトワの看板を上げることを決めた年)の秋です。それは、畑の面積が半分になったので、当時話題になっていた温室での水耕栽培に手を出し、農作物の生産性を上げたくて、つくっています。その後しばらくして木苺の支柱を立てています。そしてこのたび四半世紀ぶりに取り払ったわけです。

 翌1968年の春、人形工房や喫茶店スペースが完成しています。この建物は長年心の中で温めていた1つの実験建屋で、地下構造を採用しています、そのために、大量の土を掘り出し、その土で畑の半分ほどの面積を埋め立てて青空パーキンなどを造り、残った畑地の東南の角部に温室を建て、ヤンマーの実験用水耕栽培プラントと同家庭用耕耘機を、デモつきで買い求めました。

 そのころはまだ、モミジのトンネル(を造らせるために植えてあったモミジの木)は貧相なもので、温室への日当たりは充分でした。それは、公道から温室が丸見えであったことを意味しています。そこで、公道から温室を程よく隠し、同時にブラックベリーとノウゼンカズラを育てるために、フェンス状の支柱を鍛冶屋で作ってもらい、立てたわけです。このアイデアはみごとに実り、しばらくの間は期待通りにことが進みました。

 つまり水耕栽培では、ジャックの豆の木のようなトマトが育ち、真冬に無数のトマトやミツバなどが採れました。木苺の支柱ではブラックベリーが順調に育ち、ジャム作りも楽しめましたし、初夏にはノウゼンカズラが見事に花を付け、目隠し以上の役割を果たしました。

 ところが、ほどなく大問題に気付かされます。水耕栽培に熱中したがあまりに、「自然の摂理に対する畏敬の念」を減退させていた、と気付かされたのです。また、除草剤を使わない農法で耕耘機を利用することは大問題を抱えている、と学びました。例えばヒルガオなどの地下茎で広がる野草の攪拌機になります。結局、お金を投じたばかりなのに、水耕栽培用の機器や家庭用耕耘機を廃棄しています。この心境や現実は『このままでいいんですか』に収録しました。

 やがて、モミジのトンネルは立派に育ちました。それは、景観面だけでなく、温暖化した世の中にあっては、夏は道行く人にひと時の清涼感を楽しんでもらえることがわかり、気をよくしています。しかし大きく育ったモミジのトンネルは「木苺の支柱」を日陰にしてしまい、支柱を無用の長物にしました。それは同時に、公道から温室が丸見えの感を緩和していたわけです。

 実は、ひと月余り前に、17人もの学生をこの日曜日に迎えることが決まっていました。ですから私は、多勢でなければ成せない作業はないものか、と思案しています。そこで思いついたのが、無用の長物である木苺の支柱を取り払うアイデアであり、「よくぞ思いついたものだ」と喜んだものです。なにせ太さ10数mm長さ2m余の13本の(支柱用の)鉄筋を、50cm間隔で立て、長さ8mほどのやや細めの鉄筋8本で横につないだような造作物ですから、しかもそれぞれの支柱にはコンクリートの基部を設けていますから、多勢でなければ動かせません。

 思い付きはよかったのですが、現物(木苺の支柱)の前に立ってみて思案のし直しです。8mものフェンス状の木苺の支柱を移動させるにしても、もはやわが家の庭には適当な場所が思い当たりません。第一、17人もの学生を受け入れるとなると、それだけの数の(昼食やお茶の時間に用いる)似通った椅子はそろっていません。さて、どうするか、と現物を見直しました。

 この横幅8mもの木苺の支柱は、よく見ると、幅2.55mのフェンス状の支柱を横に3枚並べて溶接してあったことです。つまり、溶接部を切断すれば、3枚に分割することが可能であったのです。ならば転用の仕方もありそうです。そこで、学生代表に事情を伝えたところ、17人を2班に分けて当日は10人で来てもらえることになりました。

 彬さんと、10人の学生を受け入れる準備に当たりました。まず、油圧式ジャッキを持ち出し、コンクリートの基部を土中から引き抜いておき、学生たちが移動させればよいだけにしておくことにしたのです。それが、当時の私の心境や自然が生じさせた大問題に気付かせました。

 この支柱の基部を、私はことのほか頑丈に作っていたことと、そのコンクリートで固めた基部が、そばに植えたサクラの木の根に絡みつかれており、ビクッともしなくなっていたことです。やむなく、ディスクグラインダーをとり出しに走っています。

 結局、学生は願ったように、その転用先まで移動させ、仮置きしてくれました。次回の来訪時までに、その設置工事を完成させ、ブラックベリーなどが登り、たわわに実を稔らせている光景を瞼に描けるようにしておきたい、との想いを湧きあがらせています。

 その後、彬さんは頑張りました。私の出張中に、私が頑丈に作ったコンクリートの基部の後始末を、つまりダイヤモンドカッターで切り残したビクッともしなかった基部を、「カケヤ」などを持ち出して取り除いていたのです

 

木苺の支柱を立てています

四半世紀ぶりに取り払ったわけです

仮置きしてくれました

「カケヤ」などを持ち出して取り除いていた