道具に立ち向う心得
 5つのパーツに分けて説き聞かせることにしました。彬さんの心理状態はまだ、妻のように頭ごなしに怒鳴りつけるわけにはゆかない時点、と勝手に思っています。本当の書生なり弟子なら、そして私が大人としての責任感や正義感に富んでいたら、怒鳴りつける前にゲンコツを飛ばすほうが真の親切でしょうが、この度もあきらめたわけです。

 まず、道具と関わる上での心得を説明しました。まず「私が用いている道具は、私の体の一部のようなものだ」、つまり「道具は、持ち主の体の延長」と考えてよい。それが真の道具というものだ、と事例をあげながら説明し、得心させたわけです。

 次に、だからと言って「私の(体の一部であるからといって私の)道具を使うな」とはいわない。なぜなら、道具を壊したり傷つけたりしてはいけないと考えて手をこまねいている(他人の道具に手を出せない)人より、はからずも手を出してしまっていた、というような人を私は高く評価しているからだ。つまり、その道具を活かさせてもらえたら、自分には「このような社会的貢献ができる」とばかりにウズウズ(自分の可能性を活性化)する人を私は大切にしたい。

 さらに、道具を使いながら「壊したり傷つけたりしてはいけない」と思うがあまりに手がすくんでしまう人より、「想うところ」に躍起になってしまい、道具を壊したり傷つけたりしてしまいかねない人の方に私はむしろ好感を抱く。

 とはいえ、同じ失敗を繰り返してはいけない。1つの失敗で学習し、広く応用する心を養ってほしい。同時に、自分を駆り立てた「想うところ」をいろんな角度から見直す心も養ってほしい。

 最後に、この考え方は、実は私の勝手な想いから出ていることを説明しています。それは、私が世の中に愛想も小想(こそ)もつかせた時の覚悟の話です。人里離れた山奥にでも入って暮らそうと考えていたことです。その場合は、持って行く道具は限られます。その道具が壊れたらどうするか。その不安から逃れるために、道具を補修してきたことも話ました

 そのうえで、最後に守ってほしいことを伝えています。それは道具を所定の位置に戻しておくことです。妻だけでなく私も、道具を見ると、あるいは何か不都合を見ると、道具を手に取って不都合を、あるいは不都合を探してでも、直したくなる質です。問題は、直し終えるとそれで満足したかのごとく、道具を放り出したままにして、忘れ去ってしまいがちであることです。

 自分が忘れたことがはっきりしておれば、(どこで用いたのかと考えたり、その日の行動を思い出しながら歩み直したりするなど)反省のしようがあります。しかし、他の人が置きっぱなしにした可能性があると、反省のしようがないだけでなく、他人のせいにしかねません。
 

道具を補修してきたことも話ました