これぞ峻別と優先順位の課題ではないでしょうか。戦争には敗れても、己の心に誇りが残ったり、敬意を払うべき対象として歴に残ったりすることがありますが、太平洋戦争では日本ババを引くようなことをして、散々な目にあわされました。その後遺症がまだぬぐい切れていません。むしろ、近年では争点となりつつあります。
バケのカワが剥がれてから気付いたのでは手遅れになることがあります。この意味で、過日中国を緊急訪問した元自民党幹事長の野中さんは立派に見えました。
同じ自民党だけど、安倍さんは稀代の詭弁家です。「国民の手に憲法を取り戻す」と言って「96条の改定」を目指しています。その狙いを天声人語(6月4日)は見事に表現しました。もちろんここをつかれたら、安倍さんは「私も国民の1人です」と開き直るのでしょうか。
安倍さんは来日を要請したフランスの大統領と、「原発推進」と「武器輸出(3原則をなし崩しにして)推進」協定を結びました。昔の三国同盟先であったドイツは、福島の原発事故を契機に原発廃止を決めました。イタリヤはとっくの昔に足を洗っています。この2国のには首脳には声をかけずに、原発問題では引くに引けない深みにはまっているフランスに声をかけています。つまり、同病相憐れむ立場の国と(昔の三国同盟のごとくに有頂天になって)パフォーマンスを繰り広げ、日本を危険に込んでよいものでしょうか。
原発については、政府は国民との約束があります。それを無視してよいのでしょうか。他方、沖縄の基地問題では、「自民党は国と国(日米)の約束がある」といって「沖縄県民はもとより国民」と民社党が交わした公約を無視させました。これはおかしい。
アメリカは政権交代した時に、日本で交わされた(アメリカ副大統領が来日して誘導した)国際条約「京都議定書」をホゴにしました。国際条約ではありうることです。しかし、自国民の願いを無視して、国を売り渡すようなこと(裏がえしていえば、日本をアジアの中で孤立させかねない方向に誘うこと)をしてもよいものでしょうか。
いまTVでは「八重の桜」で、日本国内での争いが取り上げられています。日本ではもう、こうした争いに夢中になる人はいないでしょう。同様に、EUでもEU内での戦争に夢中になれる人は視野狭窄の稀有な人、あるいは強度の猜疑心の強い人ではないでしょうか。
日本は信頼され、尊敬される国にならない限り「金の切れ目が縁の切れ目」のような国になりかねません。そのためには「憲法9条の堅持が必定です。そのためには96条を変えてなりません」。憲法9条を堅持する国を誇りにして、戦争をなくす方向に世界を誘うべきです」との意見を発する人たちに私は賛同しています。
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