それは訪れた農家で見かけた1つの(初見の)農具がキッカケでした。鍬の一種と見ましたが、普通の鍬と違って、角ばった穴が随所に空いていました。水田の稲の間で、土をこするように前後させて使い、水田の水草を抜き去る道具と知りました。
この農家の農場と、亀岡で彬さんが関わっていた農場は、隣同士でした。その関係で、彬さんが行っていたことは一部始終観察されていたわけです。
実はこのたび、「オモダカ」と「コナギ」という水生植物について、かなり詳しく知ることができました。「オモダカ」は「クワイ」とそっくりですが、「ハナクワイ」とも呼ばれるそうで、同族です。この「オモダカ」が、私が2度目の収穫際に出かけた折に、彬さんが管理していた水田に水稲と同じぐらいにはびこり、手の施しようがない状態でした。おそらく、その数がまだ少ない前年度の時点での除草を怠っていたのでしょう。そこは今、水を張らずに畑にされていました。おそらく、その借地は農家の手に戻され、農家は畑地にしたうえで除草剤も用い、「オモダカ」を始めとする野草退治にはいっているのではないでしょうか。
案の定、彬さんの「ケド」は、たいした問題ではなかったわけです。私が、むしろそれを良い兆候とみて住み込ませましたが、それでよかった、と思っています。「ケド」の本質も知りたかったし、「ケド」なくしに挑戦させたかったからです。
「農薬を使わずに農業はできません」と思い込んでいる人より数倍「まし」だし、「ケド」付ですが、次元を超えた価値ある存在と見ています。一刻も早く「ケド」付きの評価を卒業し、「変わり者」呼ばわりされる人になってもらいたく願っています。
近代「工業文明」の時代は古代文明をはるかにしのぐ「手抜きの時代」である、「手抜きを効率などと呼び換えてよしとする時代」である、と観ています。ですから農業まで、農薬や科学肥料まで多用する農業の工業化を奨励してきたのでしょう。それが人口爆発の原因でしょう。こうした「便利さ」や「効率性」などと呼ぶ手抜きの追求に不安を感じたり疑問を抱いたりして「変わり者」扱いされるのは正常な証拠、と私は見ています。
そこで、キャベツの虫捕りも勧め、手抜きをいさめたわけですが、期待する反応を得ませんでした。そこで、水路が完全に枯れた「この機に」とばかりに、彬さんには水曜日に、アイトワ流の「治水」装置の補修や、ドクダミなどの根(が土の中にいかに深く忍び込んでいるのかを知って、そ)のしぶとさを見極め、退治する「治草」の心得も身に着けてもらう作業に当たってもらいました。こうした成果が見えやすいことから順に手掛けてもらい、手間暇かける意義や楽しさに目覚めてもらいたく思っています。
次週はまず、ドクダミの根のしぶとさを極めたところに、記念となる宿根のハーブを植え付けてもらったり、半地下構造の効果を体感したりする課題を与えたく思っています。
それを正当化したこと。私は一連の課題を彬さんに与え、彼流の出来栄えを確かめた上で、私流のやり方を示して見せ、彼に独自の比較・評価をさせ、自らの進むべき方向を見定めてもらい、その方向を骨身に浸み込ませてもらいたいと思っています。
その課題をこなそうとしてあたふたしている彼の姿を見て、妻が助言や助力を与えようとしたのです。私は失望し、叱りました。ところが「それが、どこが悪いのですか」と妻は食ってかかってきたのです。
そこで彬さんに方向を転じ、私が妻を叱った根拠をただし、彬さんの理解度を確かめようとしたのですが、「ピン」と来ていない様子でした。この程度のことが理解できないようなら、ここに居続ける意味がない、との評価を私は下しました。いわんや私にとっては「あきらめ」の境地で付き合わなければならない課題ではない、と考えました。
その自覚と覚悟を決めてもらう一呼吸の時間を与えたうえで、再度彬さんを呼びつけました。そして、異なる方向から理解度を深めてもらおうとしました。それは「掃除」を切り口にしたものです。「明日にでも、お客さんを迎えたいと思いますが、泊まってもらえますか」と質し、掃除ができているか否か、その状況を質したわけです。この点で言えば、先輩書生であった伸幸さんは数分で対応できそうなまでに綺麗にしていました。でも、掃除の上手下手を質す資格が私にはないことを私は自覚しています。
彬さんにも伸幸さんと同様に母屋の一室を与えています。(伸幸さんは時々家族が訪れましたから、その時は他の部屋も使ってもらっていましたが)彬さんは独身です。しかし同様の条件をつけて他の部屋も「使ってもよい」ことにしています。それはホテルの一室を借りたときに「ロビーなどを使ってもよい」のと同様に、との条件です。「洗濯機も使ってよい。ただし、他の部屋に泊まっていただく人に使っていただく。風呂も同様だ」。とりわけトイレは、わが家の来客が要した折は、(わが家のタンクに溜めるトイレではなく)母屋の(下水道につながっている)分を使ってもらっており、いつ何時母屋に踏み込んでもらうことになるかもしれません。
彬さんは即座に事情が呑み込めたようで、首を横に振りました。散らかしほうだいにしていたわけです。「掃除を、妻にさせたいのですか」と詰問しました。逆に妻は「彬さんのおかげで(掃除を彬さんがしてくれるので)、いつでも来客に泊まってもらえる」と言って喜びたいはずだ、と付け加えました。
彬さんは、言ったことは「ハイ、分かりました」とハッキリ応えて、取り組もうとします。明日中に、とは言わないが、急ぎ掃除をすること、と釘を刺しました。
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