それを正当化したこと
 

 私は一連の課題を彬さんに与え、彼流の出来栄えを確かめた上で、私流のやり方を示して見せ、彼に独自の比較・評価をさせ、自らの進むべき方向を見定めてもらい、その方向を骨身に浸み込ませてもらいたいと思っています。

 その課題をこなそうとしてあたふたしている彼の姿を見て、妻が助言や助力を与えようとしたのです。私は失望し、叱りました。ところが「それが、どこが悪いのですか」と妻は食ってかかってきたのです。

 そこで彬さんに方向を転じ、私が妻を叱った根拠をただし、彬さんの理解度を確かめようとしたのですが、「ピン」と来ていない様子でした。この程度のことが理解できないようなら、ここに居続ける意味がない、との評価を私は下しました。いわんや私にとっては「あきらめ」の境地で付き合わなければならない課題ではない、と考えました。

 その自覚と覚悟を決めてもらう一呼吸の時間を与えたうえで、再度彬さんを呼びつけました。そして、異なる方向から理解度を深めてもらおうとしました。それは「掃除」を切り口にしたものです。「明日にでも、お客さんを迎えたいと思いますが、泊まってもらえますか」と質し、掃除ができているか否か、その状況を質したわけです。この点で言えば、先輩書生であった伸幸さんは数分で対応できそうなまでに綺麗にしていました。でも、掃除の上手下手を質す資格が私にはないことを私は自覚しています。

 彬さんにも伸幸さんと同様に母屋の一室を与えています。(伸幸さんは時々家族が訪れましたから、その時は他の部屋も使ってもらっていましたが)彬さんは独身です。しかし同様の条件をつけて他の部屋も「使ってもよい」ことにしています。それはホテルの一室を借りたときに「ロビーなどを使ってもよい」のと同様に、との条件です。「洗濯機も使ってよい。ただし、他の部屋に泊まっていただく人に使っていただく。風呂も同様だ」。とりわけトイレは、わが家の来客が要した折は、(わが家のタンクに溜めるトイレではなく)母屋の(下水道につながっている)分を使ってもらっており、いつ何時母屋に踏み込んでもらうことになるかもしれません。

 彬さんは即座に事情が呑み込めたようで、首を横に振りました。散らかしほうだいにしていたわけです。「掃除を、妻にさせたいのですか」と詰問しました。逆に妻は「彬さんのおかげで(掃除を彬さんがしてくれるので)、いつでも来客に泊まってもらえる」と言って喜びたいはずだ、と付け加えました。

 彬さんは、言ったことは「ハイ、分かりました」とハッキリ応えて、取り組もうとします。明日中に、とは言わないが、急ぎ掃除をすること、と釘を刺しました。