まじない

 

 除染活動は、やがて「まじない」に過ぎなかったことが明らかになるでしょう。ある高名な学者に「まじない」論を語ったら、膝を打たんばかりに共感してもらえました。少なくとも、農地や山間部などでの除染は、膨大な国民の税金もしくは国民の肩に背負わせた借金(国家予算)の無駄遣いであったことが分かるでしょう。

 除染対象区域は、居住者の庭や畑地などの敷地から外部20m離れたところに紐を張って、その内部に限って行われていました。山肌にある敷地はもとより、雨水が他から流れ込む敷地は、雨が降るたびに除染外から、放射線交じりの雨水が流れ込む勘定です。

 もっとも、そんなことは当事者も先刻承知の上で、都合のよい金の動かし方と見て実施されているに違いありません。問題はその都合です。

 2年前に現地を訪れたときに、雨水が集まる所(樋の水が流れ落ちる地点など)と、降った雨がそのまま滲みこむだけの所とでは、放射線量が劇的に異なることをこの耳と目で確かめています。にもかかわらず、除染は表土を一律に5cm厚で機械的に削り取っていました。

 しかも、畑地や山間部の土地では、平らに見える土地でも凹凸が激しく、5cmや10cmは誤差値の範囲内ですから、機械的に5cmを削るということは不可能です。あえて言えば、放射線交じりの土の攪拌と、それ相当量の表土の略奪行為に過ぎない行いでしょう。

 小川はどうするのか、シイタケなどのホタギのあるところはどうするのか、机の上や議会場ではわからないことが多々あるようです。現実に、作業現場の人は辟易として作業に携わっています。同時に、原発内で防護服を着て作業に携わった経験者には、いわば素手の除染作業に驚ろかせて、「あっちに戻るワ」と言わせているようです。

 山での表土は、1cm作るのに100年は要するといわれます。ですから、樹木の皆伐は表土流出に結び付きますから、大問題にされています。畑地の表土も、肥えた土にするために並々ならぬ努力が求められます。いわんや、無農薬有機栽培地は、土の記憶(連作障害問題など)にも並々ならぬ神経が注がれて健康状態が維持されています。

 除染活動は、やがて「まじない」に過ぎなかったことが明らかになるでしょう。
 



除染外から、放射線交じりの雨水が流れ込む勘定です