「人」の悲しさ
 「人」の悲しさを思い知らされたのはこの時です。緑は豊かに育っており、木苺の花にハチがたかり、蜜や花粉を集めていました。田園地帯を蛇行している澤水は清らかい見えました。それを堰き止めて造った池ではアメンボウが水面を滑っていました。

人間も「ヒト」の状態で止まっていたら、とも考えました。原発を、原発が最もむかない日本(逆に、自然エネルギーには最も恵まれている工業国)に作る「人」もいれば、その被害者もいる。そして、その被害者をまるで「ヒト」かのごとくに見ているのではないか、と思いたくなるほど、「まじない」のごときこと膨大な国税を投入している。