この生き方

 

 「セセッション」という言葉を、トッテンさんは近著『課税による略奪が日本経済を殺した』で紹介しています。それは「脱退」という意味で、それが南北戦争の原因でした。1860年から61年にかけて南部11州が連邦から脱退しており、戦争になっています。

 このセセッションの機運が今、アメリカで渦巻いているようです。「中央政府からの離脱の動きは、世界の現状を見れば必然なものです」と、トッテンさんは語りかけます。すでに、アリゾナやNYなど10州がホワイトハウスにセセッション希望を提案しているとか。

 ということは、大きなシステムは、維持するために多大なエネルギーを食うことが原因です。大きな政府も同様ですし、大きな会社も同じことです、とトッテンさんは警鐘を鳴らします。

 私は(『次ぎの生き方』などで)市町村合併に反対してきました。また、巨大企業は早晩次々と崩壊する、とその危険性を訴えてきました。トッテンさんと同じ見方をしているからです。

 ですから、わが国は西洋諸国(はEUを形成しているが、今も教区という小さなコミュニティを維持しており、いざという時はそれを活かせますから)に後れを取る、と心配もしています。

 つまり、市町村合併や大企業化は「時代の流れに逆行」しており(「次代の波に乗り遅れる油断の源泉」であるのに)そうとは知らずに「あらぬ努力=悪あがき」をしている姿です。

 もちろんトッテンさんは、こうした「時代の潮流」を見据えており、このたびも日本が生まれ変わるための持論である手堅い策を具体的に提案し、その採用を促しておられます。ですが、あきらめの心境も吐露されています。

 なぜなら、肝心のその策を採用して転換を計るべき立場にある人たち(たとえば原発村など利権をむさぼる人たち)は、日本のことよりわが身のことを優先しており、そう簡単にはこと(民主の政策)が進むとは思われないとの表明で、究極のセセッションの提案です。

 それは、まず各人が自己完結能力を高め(公助を当てにするようなことは控え)ること。そして、自己完結能力を高めつつある人同志が集って、相互扶助関係の輪を大きくしてゆき、より充実した自己完結能力を養おうとの提案、と私は読みました。

 ちなみに、世の中はその逆方向に走っています。それは公助に甘えようとするかのような動きです。たとえば、都市に群がりながら、コミュニティを形成する努力を怠る生き方です。それは寄らば大樹の影型と言え、かえって孤独死の多発を招きかねません。ですからその逆に、高齢化が進み、独居老人比率が高い過疎村では、孤独死比率が低いのではないでしょうか。

 トッテンさんはまた、ロシアの哲学者であり科学者でもあったクロポトキンの提案も紹介しています。アナーキズムです。アナーキズムと聞けば、私は悪いイメージを抱いていました。政府の破壊を標榜する無政府主義のことだと思っていました。違ったのです。

 この人・クロポトキンは、国家共産主義者でも帝国主義者でもなく人道主義者であり、ピラミッド型社会(ヒエラルキー)の腐敗構造を見透かしており、政府をあてにしなくてよい生き方を提唱していた、とこのたび読み取りました。

 もしクロポトキンが、「公助を期待しながら孤独死するような生き方からの脱却」を呼びかけていたのであれば、この人は「人間の弱さ、いじましさ、あるいは哀れさなどを深くわきまえていた人」であったに違いありません。逆に言えば、時間的物質的に恵まれていながら、つまりヒエラルキーの頂点、あるいはその範疇に位置している人が陥りがちな特質も見透かしていたのではないでしょうか。

 私が望む生き方は、「公助を尊重するも期待しない。孤独死を辞さないけれどもせずに済む生き方」に備える心と、不断の準備をかさなることですそしてその根本は、「モノに頼り過ぎない豊かな暮らし」を手に入れようとする不断の努力だと思います。

 今週は、知友が編著者として誕生させた『よくわかる環境教育』の献本もありましたが、私は尾の中で、「ものに頼り過ぎない豊かな暮らし」という一項を受け持たせてもらいました。その引用はしばらく控えますが、ここで紹介している生き方や考え方を貫きたく思っています。

 かねてから私は、2025年ごろに1つの焦点を絞って生きてきました。地球人口が80億人に達するであろう頃です。そのころに人類はどうなっているか、興味津々です。それを目の当たりにしたいのです。私の拙著は、すべてその事態を優雅に克服する提案です。

 私は、工業文明が誘った産業社会よりもっと素晴らしい時代を切り拓けることを知っています。それが拙著『ビブギオールカラー』で紹介した第4時代です。そして第4時代が許容するであろう生き方の1つのモデル、その気になれば誰にでもできる生き方創りを営々と楽しんできたわけです。

 今週購入した書籍の中に、気に入っ(て読みかけ)た一書があります。広井良典さんの『人口減少社会という希望』です。まさに工業社会を第3時代と位置づけており、データを添えて第4時代を視界に入れ、そこに希望を描いているようだ、と見てとっています。

 もし、それが、工業時代の「欲望の解放」から「人間の解放」への転換を提唱し、「有限資源」にではなく「太陽の恵み」に期待しておれば、と願わずにおれません。

 かつてアルビン・トフラーは、工業社会を終焉させつつある『第3の波』に注目すべきことを提唱しました。

 このてんでいえば、安倍さんは最悪の人です。工業社会の延命に躍起です。明21日(日曜日)は参院選投票日。その結果に私は興味津々です。

 余談ですが、1986年に給与所得生活を返上してまで『ビブギオールカラー』で第4時代を歌い上げましたが、それは服飾の研究をしていたおかげです。1960年代にはじまる当時の世界の服飾から、人々の願望を読み解き、第4時代を提唱して間違いはなし、と読み取っていたからです。そのてんで言えば、昨今のわが国の服飾には危険な兆候が多々見受けられます。日本はきっと、恐れていたことが、つまり経済戦争でも敗北を喫することが、待ち受けているでしょう。安倍さんは首を吊って いる人の足を自信満々に引っ張っているような人です。

 その目で見るならば、親友であるトッテンさんの近著『課税による略奪が日本経済を殺した』は誠に親切な一書です。国のすべきことを端的に表し、出来ないであろうと見通し、心ある個人の奮起に期待し、ひいては日本をよみがえらせたい、という希望の表明です。