なぜかこのたびの打撲傷の後、心臓の薬を飲む気になっておらず、断っていたのです。逆に、日に2度3度と血圧を自分で測定しています。
宙八さんの見立て通りに、腎臓を強打して少し傷めていたのであれば、薬を断つ気になった自己診断を誇らしげに思います。きっと、化学的薬剤の服用は弱った腎臓が自己治癒しようとするうえで、負担をかけるに違いありません。
今週は、彬さんから、文部科学省の通達を聴かされています。気温が「31度を超えると生徒を屋内に引き込ませるように」と全国の教諭に通達したというのです。これから育つ子供たちは、暑さ寒さを温度計に教えられないと分かりがたくなりそうで、心配です。
のどが渇けば水場を求める野生動物よりも、人間を鈍感にさせたいのかもしれません。いずれは海外旅行(に温度計を持参しないと心細くなる人を育ててしまい)携帯用温度計が(あるいは温度計を組み込んだスマホが)開発され、売り出されそうです。
もちろん私は、あと10年は生きていたいと思っています。そのために自己診断能力と覚悟を大切にしたく思っています。10年ほどすれば、いやおうなく、これまで思ってきたとおりに世の中が変転している、と思っているからです。それをこの目で確かめたいのです。
とはいえ、身体的半病人はまだしも、少なくとも意識の半病人になってまで生きていたくはありません。自分の体は自分で見立て、生きてゆきたい。半歩譲っても、心ある医者の十分なる触・問診にしたがうのならまだしも、機器の見立てに従って管理される治療には満足したくはありません。ですから私は、血圧計の使い方も、一度では済ませません。時間をおいて、気に入った数値に近づくまで測り直します。
人体は人それぞれ多様だろうし、体調は刻々と変わるはずです。その人体が、外部から取り入れる食べもの、空気、あるいは水なども多様だろうし、その他睡眠や、生活空間のありようも多様です。ですから、その場その時限りの機器の分析に一喜一憂するのはどうかと思います。もちろん機器を参考にするのは大切ですが、それを活かすのは自己診断能力だと思っています。
少なくとも、精密機器の数値に一喜一憂する自分にはしたくありません。
橋本宙八さんはこのたび、その逆に、「この際は病院に行って(機器も用いて)傷病を特定してもらってはいかがですか」と助言してくださった。なぜか私はとても感謝の念を抱きました。それは私が、西洋医学を対症療法としてはとても尊重している気分に共感したのでしょう。
しかし、このたびの私は、まだそこまでの時点に至らせられてはおらず、自己治癒力で十分対処できる時点、と自己診断したわけです。もうしばらくすれば、心臓の定期検診です。きっとその時に、X線照射をされるでしょうから、その時で十分と取れみています。
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