楽しい朝食でした。アイトワの定休日に訪ねてもらえたので、時間がたっぷりとれました。夫婦づきあいしているこの友人は、久しぶりの来訪で、しかも単身でした。この人は単独行動をした折は必ず、印象深かそうに見受けられることはカメラに収め、帰宅後に夫人に伝ええます。そのありように妻は感心しており、私は見習うようにしています。
久しく合わない間にトピックニュースが幾つか生じていました。とりわけ陶芸家村山さんの世話になって手作りした調理釜と、佛教大学の学生が先輩から後輩へと引き継ぎながら、足かけ3年もかけて改装に関わった囲炉裏場に、とても興味を示してもらえました。
逆に、私が感銘を受けたのは、白内障手術のニュースでした。その経験談に耳を傾けている間に、3つの想いが頭のなかをグルグルと駆け巡り始めています。
まず、ハッピーのことでした。全盲になったハッピーも、白内障です。しかし(私たちさえ気にかければ、いわゆるヒトサマに迷惑をかけることはなきに等しい存在ですから)手術は断念しました。そして、人影が視界に入るとほえたてる怖がりですから、全盲の幸せを(その気になれば誰にでもできる方法で)覚えさせようと努力することにしています。
それは、全盲の立場に想いを馳せ、心穏やかにできそうな工夫に努めることですが、まだ途上です。幸いなことに(?)耳も遠くなっていますから、振動を活かすことと手で触れる度合いを増やすなどして、幸せな余生を送らせたく思っています。ありがたいことに、これまで以上に無防備な眠り方を、縁先でするようになっています。
しかし、私の場合は、極端に視力が落ちれば、妻だけでなく、ヒトサマにまで迷惑をかけかねません。視力低下で得る便益よりもマイナスの方が大きいようですから、どのタイミングを選ぶべきか、と考え始めました。実は、この手術を、妻は私に勧めていません。むしろ、冗談のようにですが、「手術をしてほしくないなア」と言い続けてきました。それは母が手術をして、細かいことが見えるようになったときの体験に基づいているようです。
この度の手術の話で、最も興味をおぼえたことは、細かいことよりも、まるで小鳥やトカゲの心境になったかのような体験談でした。「楽しいだろうな」と夢心地にされました。手術後の目に、眼帯を外したときに、実に鮮明な色鮮の世界が飛び込んできた、というのです。
小鳥やトカゲは、きっとヘビも、人間よりはるかに美しい色彩の世界を見ています。私たちは3原色の世界で生きていますが、彼らは4原色の世界に生きているのです。もちろん彼らには、その代わりに失ったものもあります。いわゆる鳥目です。夜目がききません。
余談ですが、同じ鳥でもフクロウなどの夜行性の鳥は、夜目が聴く代わりに、モノクロのような世界に甘んじています。それは、ハッピーも同様で、夜目が聴く代わりに色彩については人間より劣っており、いわば2原色の世界に甘んじているようです。
小鳥やトカゲが見ているのであろう鮮明な色紙の世界に夢を馳せていた間にも、友人の話は続きました。「運転がしやすくなった」というのです。ナビを見るときに、かつては老眼鏡がいったのに、いらなくなったというのです。そうと知った時に、「さて、どうするか」と考えました。過日運転免許を返上することにしたばかりであったからです。
多分に私は、裸眼での視力低下を気にかけており、返上を決めました。それが回復するとなると、その程を確かめた上で決めてもいいことではないか、と躊躇したわけです。でもすぐに、ハッピーの心境に思いを馳せ、同時に私は返上した時の弱気になった想いを振り返り、「まあ、いいか」と、あれこれ採りこし苦労するわが弱点を見越し、返上を再確認しています。
それはともかく、白内障手術をいつ受けるか、いつ受ければ劇的な色彩の世界をより楽しむことができそうかなど、そのバランスを考えるようになりました。
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