つらつら考える機会
 

 

 富良野から遠軽を目指す列車の中で、アイヌ語で「エンガル」とはどういう意味だろうか、と考えました。旭川まで鈍行で出て、そこから網走行きの特急に乗り換えました。この鈍行とオホーツク3号はともに旧型車両でしたから、とても楽しかった。遠方に来ているとの実感しました。ここに、魚の行商する人が乗り込んでいたら、と思ったほどです。

 富士山の「フジ」とは、たしかアイヌ語では「火を噴く山」という意味がこめられていたはず、と思い出しました。戦争を知らなかったと聴く縄文人が名付けたのでしょう。エンガルの1つ手前の駅は「マルセップ(丸瀬布)」でした。

 この度の2日目に、新聞で「レイシストをしばき隊」の存在も知ったことを思い出しました。このところ東京新大久保などで、機動隊にガードされながら「朝鮮人は日本のゴキブリ」とか「叩き出せ」などとヘイトスピーチを叫ぶレイシストが横行しているようですが、「おまえらこそゴキブリ」などと叫ぶ「レイシストをしばき隊」の隊員が大勢出現したというのです。これが多数の「後進派日本人」の声にちがいないと思い、ホッとしています。

 歴史認識を大事にしない国とか国民と見られることは残念だし、最大の恥の1つだと思うからです。日本政府はアイヌ民族を先住民と認めています。つまり私たち後進派日本人の多くは、正確に言えば現日本人の多くの血は、朝鮮半島から流入した人々の血を受け継いでいます。その混血が始まったのは、主に西ローマ帝国が崩壊してから何世紀もあとのことであり、弥生時代と呼んでいるついこの間(数千年の有史を持つ人たちからみれば)のことであったはずです。この意味では、生々しく混血を進めつつあるアメリカは後輩です。

 現日本人ほど多民族の血が混血した民は少ない、とさえ科学的には認められています。本来ならそれを長所にして、胸を張って世界の民族紛争に割って入り、アメリカが武力で割って入って足掻いているのとは逆に、平和的に割って入り、紛争解消に努めるだけの度量が求められているのではないでしょうか。そのためにも憲法9条が大切だと思います。

 問題は、日本には外交が実質上、ないことです。それは外交官の問題ではなく、明治後の日本の体質の問題ではないでしょうか。身命を賭し、己の良心や良識に従って外交に努め、世界から高く評価されている外交官と言えば杉浦千畝となるはずですが、この人は、敗戦後の新生日本の外務省から、実質上追い出され、勲章を与えられていないのではないでしょうか。

 それはともかく、かつては原水爆による「恐怖の均衡」を正当化する人が大勢いました。その張本人の1人であったキッシンジャー元国務長官が、宗旨替えをした、とこの旅行中の天声人語で知り、その度量の深さや大きさに驚かされています。

 過日、パウエル元国務長官が原水爆を、人類として恥ずべき最悪の兵器といったような認識を示していましたし、ベトナム戦争の推進者であったマクナマラ元国務長官は後年、ベトナム戦争は間違っていた、と反省しています。要は、要人にはこうした度量の大きさが求められており、それが要人の資格ではないでしょうか。にもかかわらず、わが国では、目先のソロバンがごとき国益をかざしたり、非の是正までを「自虐的」などといった(安倍流に言えば定義の定まらない)言葉で排斥したりする姿勢が許されています。それを容認している国民がいけないのか、いずれがタマゴかニワトリかと、レールの切れ目毎のゴトンゴトンを楽しみました。

 私が飲み続けてきたディオバン錠に関する記事にも触れました。製薬会社と複数大学の研究者が癒着していたようです。問題の本質は、医療業界が医療を金もうけの手段にしていることではないでしょうか。この問題は2つの面(これで得をしている人は誰か。犠牲になるのは誰か)から見て、「いずれ立ち消えなりそうだ」と考えています。

 わが国の(医療保険制度のあり方を含む)医療システム自体が改められない限り、良識のある医療関係者は浮かばれず、着くところまでゆかないとどうにもならない、こうした問題は解消できそうもない、とこれまたゴトンゴトンを1人で楽しんでいます。

 妻は、残念ですが、こうした話には咬んでくれず、うたた寝のしどうしです。ときどき「あのオレンジ色の花は何!」とか叫ぶと、パッチリ目を開けていました。