函館では9日の新聞で、年間1000億円も売り上げるディオバン錠の製造販売元・ノバルディス社と2つの大学の癒着が報じられていました。2大学は、ノバルディス社から計1億8500万円の奨学寄付金を受け取り、ノバルディス社員を大阪市立大学の肩書で受け入れ、データー解析を担当させていたのです。
帰宅してから、10日の新聞で、上の2学を含む5大学が、計11億3000万円の奨学寄付金を受け取っており、ずさんな処理をしていた、と報じられていました。つまり大勢の医学者が、いわば毒まんじゅうを食わされたような格好で、ディオバン錠を年間1000億円も売り上げるための手先にされていたようなことになっていたのです。
そして13日。私は定期検診で病院を訪れたわけです。ディオバン錠を進めてきた医者から、「期待を裏切られた」とでもいったような反応があるもの、と期待していました。意外なことに、そのような話はまったくありませんでした。
「前回は、薬を減らしたいとのことでしたが、経過は良好のようですから、これまで通りに(同じ薬の服用を)続けましょう」と進められました。もちろん、私は「ディオバンが騒がれていますが」と切り出しました。しかし反応は、「欲張ったのでしょうね」で終わりでした。つまり、効き目は5しかないのに、7にかさ上げしようとして生じた事件、とでも理解ができそうな反応でした。本当は、その程度の問題にすぎないのではないか、と勘繰りたくなりました。
すぐに気付かされたことは、「この先生は辛い立場であろう」ということでした。きっと、この件はすでに落としどころが決まっており、そのうちに報道さえされなくなるにちがいない、との思いを一層深めています。つまり、ノバルディス社の毒まんじゅうを、大学関係者だけでなく、他にも大勢の人がもっとたくさん食っているに違いない、と思ったわけです。
西洋医学の医者は科学者の範疇でしょう。いやむしろ、患者の命を「人質」にしたようなところがありますからただの科学者ではなく、とても崇高さが求められる一格上の科学者ではないでしょうか。私はそう期待しています。ですから、効能を信じて患者に薬を飲ませてきた立場から、怒り心頭に達してほしい、と思っていました。それが怒れない、辛い立場だろうと感じたわけです。そして、なぜか戦時中の重苦しさを思い出してしまいました。
たとえていえば、美味しいアメと思って売りつけてきた駄菓子屋のおばちゃんでも、7と期待していた美味しさが実は5であったと分かったら、売りつけてきた客に対して申し訳なく思い、きっと詫びるに違いありません。いわんやディオバン錠は副作用も指摘されています。にもかかわらず、医者が意見を述べられない何かの背景がりそうだ、と思ったわけです。末端の医者には怒れない。そうした業界であろうと思われました。
現実に、認可が取り消されているわけではないようです。倫理面からいえば、患者の方に顔をむけていたら、使用を見合わす通達ぐらいは出すべきでしょうが、出たわけでもないでしょう。きっと取り消されないだろう。それは、死者まで出た血液製剤事件1つを振り返るだけでも、容易に理解できることです。それから比すれば、これは軽い問題で、5を7の問題ではなく、5と思わせてきたが、実は1か1以下の話にすぎない、ビジネス問題ではないでしょうか。
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