夫婦の協力と6年の歳月の偉大さを目の当たりにしました。阿部夫婦のモノの見方の確かさにも感心しました。さまざまな先達と接触し、取捨選択していました。
たどり着くと、右手にゲストハウスがまず目につきました。門が出来ていました。左手には車庫が見え、その手前はハス池です。この訪問のきっかけは近況報告の手紙と贈物でしたが、このハスの実で作ったジャムも入っていました。この池は、汚水の最終処理場です。
まず犬が駆けてきてすぐさま妻に甘えました。小高い丘の上に登ると、最初のログハウスの隣に、夏の館ができており、まずここに招き入れられました。6畳程の土間と4.5畳ほどの蚊帳をつって寝ることができる床を敷いた部分があり、土間にはブランコがありました。その前に「土中庫」が見えました。その屋根部に上ると、ログハウスと夏の館が望め、その左手には研修棟が控えていました。「土中庫」の裏には2人の娘のためにツリーハウスもありましたし、小さな温室もありました。この温室はもらい物だし、ゲストハウスや夏の館などは「もらったサッシに合わせて窓を作りました」などとリサイクル材をふんだんに活かしていました。
この夫婦は、まさに「二人扶持(ぶち)」ならやっていける、を実証した好例です。昨今は「給与が少なくて、結婚できない」と嘆く男性が増えましたが、まだわが国が農業社会体制にあった50年ほど前までは、給与が少ないけれど、結婚して助け合えば(二人扶持でやれば)何とか生きていける、という考え方が生きていました。大家族も、子沢山もその一環でした。その相互扶助関係を基盤としたストックの生き方の良き事例を検証する数時間になりました。
少しうぬぼれた言い方ですが、最初にお訪ねした折に「ドン、と2人の背中を押しておいてヨカッタ」との思いがこみ上げて来ました。わが家を訪ねてもらい、第一次の助言をさせてもらっています。「この2人ならデキル」と思った時のことを振り返りました。
私たちが到着し、梅ジュースを振舞われ、ひと段落したときの家族の動きは次のごとくでした。奥さんの仁美さんは寒天を生かした冷たい前菜を出してくださった。ご主人の寿也さんはBBQコンロに見立てたコンクリート製の側溝に炭を入れ、火をつけ田上で、私たちの相手を始めた。それまではブランコなどに戯れながら私たち夫婦に興味を示していた姉妹・の結さんと花連さんは、父親にとって代わって炭の火を団扇でおこし始めています●。
この日の昼食のメインは、恵那鶏や庭の野菜のBBQタイプでしたが、中学生の結さんと小学生の花連さんの2人が焼きあげてくれました。サラダ、ゴヘイモチ、イマム(トルコ料理)なども美味しかった。デザートは、香ばしい黄な粉をまぶしたワラビ餅でした。
6年前に訪れた折から、この夫婦は生活パターンを転換しています。それまで仁美さんは専業主婦として大奮闘でしたが、身に着けていた資格を活かしてその後は働きに出ており、夫の寿也さんが子育ても受け持ち、生活空間づくりにあたったわけです。
寿也さんは、一週間の成果を仁美さんに喜んでもらいたくて、日々生活空間づくりに励んだに違いありません。寿也さんは、週末にこの生活空間で家族と繰り広げる自分の役割を心に秘め、資格を活かした勤めに励んだことでしょう。その成果は、「土中庫」の中を一見しただけでも即座に読み取れました。仁美さんが2人の娘に手伝わせた成果が並んでいました。
土中庫の入り口に用いた石の多くは、敷地の造作から出て来たもので、6年前の訪問時にはすでに掘り出されていました。つまり、私の最初の助言に沿ってユンボを入れた折の副産物です。ユンボは、「太陽の恵みを上手に活かす生活空間にしないと」「この家族の生活は行き詰まる恐れがある」とみてとった提案にそった造作に要した重機です。
この大胆な造作は一か八かの危険性がありましたが、私は幸運の方にかけました。それはこの2人が自己責任観に燃えた人たちと見たからです。案の定、危険性は杞憂に終わり、逆に立派な石という副産物にも恵まれたわけです。要は、太陽の恵みを享受するわが家と同様の「定期預金」に、家族の努力次第で副利率を倍増させることができるようになったわけです。
工業社会における家庭は、消費者の集合空間になり、家屋は(工場で作られた最終消費材を買い求めてきて)消費(するだけ)の場となりがちです。農業社会における家屋は生産の場であり、家族みんなが生産者として助け合う生き方を繰り広げていました。つまりフローの生き方の下に、家族がそれぞれの役割を分担して受け持ち、助け合って一家として自己完結度が高い生活を繰り広げていました。そうした生き方の生きた事例に触れた心地よさを感じました。
工業時代体制の価値観の下では、しかも2人の子どもを抱えていたのでは、工業社会体制にのっとった現金収入の得方も要検討、と私は考えました。ですから、わが家とは逆に、奥さんが働きに出るパターンを勧めました。この2人ならきっとうまくやり遂げるに違いないと見たわけです。
研修棟は、10数人で勉強会が開ける建屋でした。ゲストハスも案内してもらいました。
工業社会は「消費の喜び」にあこがれる人を増やし、国はそのGDPの量的増大を豊かさのバロメーターと見て喧伝してきましたが、私はそこに「罠」を終始見出し、不安を抱いてきました。この「消費の喜び」は「欲望の解放」に走らせて気を緩めがちであり、遊んでいるつもりが「遊ばれていたようなことになる」フローの生き方に走りがちになります。
くわえて、フェミニズムが囃される風潮にも不安を感じていました。工業社会は、「一人でも生きてゆけそうな気にさせます」が、それはお金次第で、現実は自己完結能力の大切さを忘れさせ、その能力を奪ってしまいます。いわばサギ的な助長で、お金がなくなれば水も飲めない、暖もとれないようにする社会体制です。こうした気のゆるみと、油断が累積して貧富格差を大きくしてしまい、老人の孤独死や母子家庭の困窮を助長する厳しい社会、との不安でした。
阿波夫妻は、その危険性を直観でご承知、と私は見てとり、2度の助言をしたわけです。それは、まずストックの生き方を軌道に乗せ、「人間の解放」に目覚める機会を自らの手で作り出す工夫です。もちろん、この度は「3度目の助言」を試みています。
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