物足りなさ。20130810
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末っ子のせいでしょうか、彬さんはまだ「こうして生きてゆく」とか「こうした人になりたい」との確かな目標を持っていない、と見ています。3か月の猶予を与えましたが、自己責任の下に、ともかく生活を成り立たせる道を見定めよう、との気迫や動きが見られませんでした。このままズルズルと行ってしまったら、便利な下男のように使ってしまいかねない、と私は心に言い聞かせました。そこで思いついたのが阿部ファミリーの生き方紹介です。 彬さんは、可愛い人ですし、言ったことは実行しますが、そのありように少しずつ不安が高まりました。書生として育成しなければ心に言い聞かせ、その責任感の重圧に押しつぶされそうな動揺を覚えるようになってしまったのです。この気持ちや考え方は、言葉では通じない、望ましき実例を目の当たりにさせよう、と考えたわけです。「ここという詰め」が、彼には欠けているように思われて心配であったのです。ドンくさい人であればそれはそれで歓迎で、わたしは怒鳴り散らしながらでも何かを会得してもらおうとするでしょう。 細かい事例ですが、彼を見送った後で、「ここという詰め」の甘さを示す事例をキュウリやシカクマメなどの支柱で見つけました。既製品の支柱を用いて彼がッコウよくつくったときは感心し、褒めましたが、これで「大丈夫かいな」との安心感をどこかい感じていました。それが明らかになったのです。まず、キュウリやシカクマメなどが大きく育ち、「この支柱では小さすぎた」とすぐに分かりましたが、この不安は当初から分かっていたことです。ところがこの度、彼を送り出したあとになって、「これだったんだ」と気づかされることが生じたわけです。 彼はわが家に買い置いてあった既製品の支柱を複数本建てて、竹を横にわたし、それらと紐で結び付けていました。なんと、その竹が作物の重さで紐を切り、落ちたのです。私は急いで、ひもで結わえてぶら下げるようにして止めてあった竹を、既製品の支柱の上いわたして、切れた紐を結び直してとめました。ただ下を上に変えるだけで事が済むことでした。 もちろん、彼は物分かりの良い人であり、すぐにことと次第を理解できますから、この竹の位置を下から上にかえる意味も教えておきたかった、と思いました。でも、任せた以上は、また「これでよいかどうか」とかれは求評するタイプの人ではありませんでした。 問題は、私は戦場に出むく息子に与えるかのごとき助言をするタイプです。その想いを、心の中で、学反応させてもらえないようなことを期待します。きっとそれは、自力本願で生きてゆく覚悟や意欲のようなものを求めているのだと思います。 阿部寿也さんからの電話要請で最初に出かけた折の、この夫妻の態度はさりげなく見えましたが、大変なものでした。「迷いを晴らしてほしい。ならばあとは2人で自己責任の下に未来を切り拓いて見せたい」との真剣さが伝わってきました。正確に言えば、「コツン」と感じ取れるものを何とかして拾い上げたい、といったような不安に満ち溢れていました。その「コツン」を自己責任の下に応用しようとする気迫です。 その後、工業時代体制の下で生き抜く助言もさせてもらいましたが、よくぞここまで、との成果をこのたび目の当たりにしました。もちろん、3たび目の助言もさせてもらいました。こうした経過を彬さんに目の当たりにしてもらいたかったのです、 |
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竹が作物の重さで紐を切り、落ちた |
切れた紐を結び直してとめました |