前夜の余韻

 

 アイトワのホームパーティーに30人も(うち10組は夫妻、4人の兄弟姉妹、そして小中学生の姉妹)が集い、ピザ焼きから始まる夕餉を楽しみました。その余韻です。

 話題が尽きず、笑い声が途切れずにしばしば拍手が沸き上がり、延々11時まで続きました。それはひとえに、この30人が秘め持つ何かのおかげです。それがパーティを愉快にする秘訣ではないかと感じており、その共通するモノなりコトは何か、と振り返っています。

 当初は、いつものように20人ほどで行うつもりでした。TOSCAの姉妹と私たち夫婦と義妹を加えた計5人で、主たるサービス組になり、「いつものように集っていただく人たちの手を借りて」全員で会食するパーティをもくろんでいました。

 ところがついに、総勢が30人になってしまい、しかも、30人になると分かったのは当日のことで、開宴までにほんの少し前のことでした。TOSCA組は姉妹の2人ではなく、兄弟姉妹の4人に他の1名を加えた計5人になる、と分かったのです。「さあたいへん」

 そこで、まず「一計」を案じています。もとより食卓を設える部屋を2つに分けざるをえなくなっていましたが、副室の活かし方を変えたのです。さらに、副室に分けるのは初めてのことですから、心を1つにする次なる「一計」を思案しています。さらに、5人になったTOSCA組には4時に来てもらえましたが、打ち合わせを始めてすぐに(最後となった)「一計」を思いついており、これは即座に実行に移しています。これらの「三計」がうまく運んだのは、ひとえにTOSCA組の5人をはじめ、参加した皆さんに快く受け入れてもらえたおかげでした。

 なんてことはないTOSCA組は、もとよりサービスに専念するつもりであったのです。そうと分かった時に、この「三計」の最後の「一計」を思いつきましたが、これが予期せぬ収穫になりました。「物販のための円弧を描いた什器」が、異なる活かし方にたえたのです。

 食卓を設える部屋を、副室としてワークショップも使い、2つに分けることになった時に、私たち3人組は次のようなプランを立てています。ワークショップにあった手作り商品を片づけ、テラスに面して円弧を描く折り畳み式全面窓を開け放つ。そのために、この全面窓に沿わせて設えてある円弧を描く物販什器を取り払い、片づけてしまう、でした。

 「三計」のうちの最後の「一計」は、「この円弧を描いた什器」をテラスに持ち出し、「ドリンクサービスのカウンター」にするアイデアでした。なんと「これが本来の用途ではないか」と思われるほどしゃれて見えたわけです。

 最初の「一計」は、副室であるワークショップの活かし方です。単に食卓を設える部屋にするだけでなく、小雨が心配されたこともあり、ピザとドリンクを楽しんでいただくスペースとして生かすことにしたのです。多勢が入って狭苦しくなりましたが、初めての参加者もあり、急きょここを自己紹介の場にしたところ、場が一層和やかになりました。それはひとえに、最初に立った俳優が、想うところをきちんと述べてもらえたおかげだと思います。

 いよいよ2室に分かれました。主室の座席は夫婦もクジでバラバラでした。ありがたいことに、副室で食事を始めた小中学生の姉妹は、なんと持参のエプロンを着けていました。この姉妹は、前日までの九州旅行で世話になった伸幸さんの娘でしたが、父親を迎えがてら「良い空気を吸いに」来ていたのです。早速、姉妹を主室で紹介し、サラダの盛り付けや皿洗いにも参加してもらえましたが、皆さんの拍手喝さいを浴びていました。

 心を1つにする「一計」とは、まずこの集いを「全快祝い」にしたことです。心臓を切開して3本のバイパス手術を17日前にしたトッテンさんに、里美夫人と参加してもらえたからです。この手術の一件を知った時に、私は半ばあきらめていました。ところが、パーティの2日前に「酒を飲んだ」との電話があり、それなら、と電話でプッシュし、参加となったのです。

 もう1つの「一計」は、生物学者に、食卓を囲む直前に「ショートスピーチ」をソッと願い出たことです。かつてアイトワ塾の合宿で、ゲストとして迎え、「こんなに熱心に質問攻めになったことは初めて」と、喜んでもらえたことがあります。きっと、幾度も講演内容を推敲し、完璧を期する人だと思います。こうしたスピーチは往々にして隙や遊びがなく、ついて行くのが大変ですが、アイトワ塾生はいささかも気後れせずに、活発な質疑応答で燃えたのです。その時のここちよい気分を思い出してもらえるように「殺し文句」を考えました。

 「1時間のスピーチなら、いつでもどこでもしてもらえる、と分かっています」と切り出すと、即座に「そりゃ、いつでもするよ」と返ってきました。ふくれっ面です。「30分のスピーチなら、せめて1日前に頼むべきだし、5分のスピーチなら10日は前もって頼むべきだ、と分かっています」。これは、アメリカ大統領で演説が得意な誰かの言葉をもじったものです。

 なんとしても応じてもらいたい、2つの部屋に分かれた30人が1つの部屋に集まり、耳を傾けたかったのです。10名からの人は要職についた現役ですが、ぼつぼつ己の寿命を見据えておくべき年頃だす。それよりもなによりも、参加した2人の子どもに大人の世界を垣間見てもらいたい、と思いました。きっと生涯の思い出になることでしょう。

 結果、シーンとなったり、ドッとト湧いたりしながら、さらに質問や意見が続出して、とてもにぎわいました。演題は「老化と寿命」で、とりわけ主室の参加者が賑やかでした。

 ちなみに、その顔ぶれは、職種は多様(生物学者、コンピューターソフト、俳優、ドラマなどの文化事業仕掛け人、製菓、化粧品、通信事業、ホテル、病院、薬剤師、あるいは健康道場主宰などとバラバラ)でしたが、組織に関わっている人はそれぞれ要職にあって(社長、会長、あるいは院長などとの肩書で)、とても気さくな人たちでした。

 そのようなわけで、30人が秘め持つ何かとは何か、と考えたのですが、きっとそれは何事にも「とらわれない心」ではないか、と思われます。性別、年齢、職種、出自、いわんや肩書などといった、いわゆる属性にはとらわれない心ではないか、と思われます。
 


話題が尽きず、延々11時まで続きました


 

これが本来の用途ではないか」と思われるほどしゃれて見えた

ピザとドリンクを楽しんでいただくスペースとして生かすことにしたのです

持参のエプロンを着けていました