愛犬のあり方
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夕食はブタシャブでした。ですから残飯が出そうになったのです。そのせいでしょうか、「犬の餌」が話題になり、ワクワクする思い出を振り返っています。 近年では、飼い犬にドッグフードではなく、家族と同じ食べ物を与えることを勧める獣医が増えているとか。これも時代の変わり目ではないか、と耳を傾けました。 わが家ではかつて、少なくとも放し飼いの時は、家族と同じ食べ物を与えていましたし、ドッグフードが主になった今も、残り物や犬のための分け前を与えています。 昔から焼き魚などが食卓に上った時は、犬に与える部分と私たちが食べる部分をとりわけており、骨やエラなどは堆肥の山に積みます。わが家の犬はペットではなく、循環型生活の一環を占める生活のパートナーとしての役割を与えられており、欠くべからざる存在です。ですから妻は、このたびの話では終始ニンマリし続けていました。 わが家の犬に家族と同じ物を与えていたころは、妻は犬の分が残るように計算して料理をしていたようです。いつも味噌汁などの相当量が残っていました。そのころのことです。「残飯を与えるなんて」と素人から顰蹙を買ったのはまだしも、獣医の友人から「ドッグフードを与えるように」と注意され、複雑な気持ちにされています。 その友人は、ドッグフードとは「その道のプロが、きちんと調合した餌」と考えていたようです。片や私は、今もそうですが、日本企業は、とりわけ大企業は「利益を目的にしている」ことが多い、と承知しており、利益のためなら何をしでかすか知れたものではない、と不安を禁じえません。ですから複雑な気持ちにされたのです。 その後、犬が2頭になり、やむなくドッグフードを増量材として買うようになりました。3頭になったときから、ドッグフードが主になってしまいました。いまやケンがいなくなりましたが、ドッグフードが主になったままのパターンが続いています。 妻をニンマリさせ、「そういえば」と私が後を引き継いだ話は、川上さんの次の質問から始まりました。「その獣医さんは」と川上さんは自慢げに、(意訳をすれば)「どのような飼い主が飼っている犬なのか」を確かめてから「犬の面倒見ますが」、「どのような飼い主なら合格にすると思いますか」といったような質問でした。 その獣医は、家族と同じ食べ物を与えることを勧める前に、日頃与えているドッグフードを持ってこさせるそうです。そして、飼い主にそのドッグフードを試食させるのだそうです。もし、それを食べない飼い主であれば、食べなてみない飼い主であれば、「その犬の面倒はみないんですよ」と続いたのです。妻はニンマリしました。私は「まいったなあ」と思いました。 それまでの私は、犬の餌の栄養価や安全性などを主とする面から考えていましたが、その獣医は「犬の人権」と言ってよいのでしょうか、飼い主と犬の立ち位置も見ているようなのです。それまで、妻が「あの子たち」と犬を呼んだり、ドッグフードの試食をして確かめたりすることを奇異に感じていた私は反省です。 「まいったなあ」と思った本当のワケは、ナイトキャップの折に妻に話しました。それは妻が、ブタシャブの折りに持ち出していたある話を、私なりに咀嚼し直し、話を深めたかったからです。それは村山さんに、わが家まで送ってもらい、別れた後の寝る前のことでした。私の思い出は小学生低学年のころの話であり、妻の方は、今年の話でした。 私は(児童集団疎開ではなく)母に引き連れられて(個別)で疎開した関係で、恰好のイジメのターゲットでした。そこで、子どもなりに知恵を絞り、連合軍を編成しました。それは、今でいえば「暴力団の子弟」や当時は「朝鮮人」と呼ばれていた家庭の子弟などでした。同じようにターゲットにされかねない仲間と仲良くして、行動をなるべく共にしたのです。母は赤裸々にいやな顔をしましたが、父は弱い立場の人に対してむしろ好意を寄せる人でした。そのおかげで、その子たちの家や部落によく遊びに行きましたが、母もとめませんでした。 ある日のことです。子どもながらに感動する場面を目にしたのです。わが家では、私が便秘になると、母は肛門に差し込んで溶液を注入する浣腸道具を買い求めてきて、通便させましたが、その子の母親は違っており、子どもの私にはより心強く感じられました。 友だちの幼い弟が便秘で苦しんでいる、と私にも容易に理解できました。その母親は、私の母がしたように、幼子の腹を躍起になってもんでいたからです。その後が違った。 それは、ごく自然に始まりました。母親が幼子の肛門に口を当て、ついには便を出させてしまったのです。私は驚いていませんし、異様にも感じていません。むしろ、最後までその情景を見届けており、「ああそうか」とばかりに奇妙に得心をし、一つの自信を身に着けたような気分にされています。今にして思えば「人間の本質」に触れて、自力本願の大切さや信頼関係の源泉などを学んだのではないでしょうか。つまり、文明の利器にたよるのではなく、文化としての力を得たような気分になり、その部落がとても暖かくて豊かに見えたものです。 この事例は、妻がブタシャブの時に持ち出した話を受けています。その話とは、喫茶店の客としてある日、赤子連れの若夫婦が、両方の母親を伴って5人で来店した時の事でした。両方の母親は孫可愛さからでしょうか、常軌を逸した言動をしたのです。躊躇する若夫婦を差し置いて、あろうことかテーブルの上で「孫のおしめを替えさせてほしい」と競うかのように願い出たというのです。もちろん妻は許そうはずがありません。両の母親はそれが不満であったようです。 きっと妻はこの出来事を、私がその日のミニ市民講座で繰り広げた「孫育ての要請」を聴いていて思い出したのでしょう。そして夜分にもう一度蒸し返したのは、よろしき獣医さんの「飼い主を診断するモノサシ」ではではありませんが、「両方の母親と孫」の間柄も確かめておけばよかった、と反省していたのではないでしょうか それはともかく、子どもたちに「どのような時代を迎えようともたくましく生きてゆくココロトカラダを授けたい」ものです。 |