智照尼さんのカエデ
 

 

 この木は、樹齢ではアイトワ1の1本です。1958年の夏に苗木を手に入れています。ですから、樹齢56年です。私には大勢の人生の恩人がいますが、その1人、最右翼の1人・大内義男さんのおかげで手に入れています。

 この人とは、中学1年の時に知り合い、大学に進学した1958年の春に再会し、その夏休みに東京のお宅まで訪ねることになりました。その手土産の1つとしてモミジの苗木を選んでおり、その時に手に入れた苗木のうちの1本です。この時が。私が贈り物に苗木を選んだ最初、と思います。

 当時はのんどりした時代でした。歩いて半時間ほどのところにある祇王寺のあたりまで、クワガタムシを捕るために、中学生時代はよくでかけていました。クヌギ林があったのです。祇王寺の智照尼という高名な尼さんと母は顔なじみで、私の顔も覚えてもらえていました。祇王寺は当時からモミジの名所でした。ですから、祇王寺で苗木を手に入れることにしたのです。

 私はそのおかげで、アイトワをモミジが多い庭にしたのだと思います。庭には大小数え切らないほどのモミジの木がありますが、その多くはこの木の子か孫かひ孫といった関係です。ですが、そこの木の他はいずれも背丈が高くなっていますが、この木だけは低くして育てています。低く育つところに植えたわけで、その期待通りに育っています。

 もちろん、徒長する枝が毎年何10本も現れますが、切り取ってきたわけです。それはかなり危険な作業です。13段脚立の天板に立たないとできない作業です。その作業に、この度は台風18号が通り過ぎた翌日に挑みました。その切り取った枝で、囲炉裏場の半分が埋まりました。

 このモミジの手入れをするたびに思い出すのが大内義男さんです。私が伊藤忠に入社して間なしに忽然とこの世を去り、縁が切れた人です。当時、葬儀の案内をもらいましたし、その後東京に出張する機会を得るようにもなりました。しかし私は線香をあげも訪ねていません。なぜかその気にならないのです。なれないのです。

 過日、水俣事件の語り部・杉本栄子さんの位牌に線香をあげました。今は、それでよかったのかどうか、と考え込まされています。次第に、行かなかった方がよかったのではないか、と考え始めています。心の中で、遠い人に感じられるようになった気がするのです。

 庭には、杉本栄子さんにもらったハマユウが育っていますが、今年は花をつけないようです。


 

モミジの木

祇王寺の智照尼という高名な尼さん

若かりしころ

祇王寺の智照尼という高名な尼さん

13段脚立の天板に立たないとできない作業