かつて妻が、大腸ガンだと思い込み、とても落ち込んだことがあります。その様子は尋常ではなく、私はテッキリ妻を失うものと思い込み、最悪の場合を覚悟し、絶望的になっています。今思い出しただけでもヒヤッとします。何もかもが手につかない心境でした。その折のことも思い出し、身につまされたのです。
わが家の場合は、結果は悪質な便秘に過ぎず、笑い話で終わらせました。しかし、私の内面では笑い話では終わらせてはおらず、心に決めたことがあります。
たとえ2人が健康に過ごせたとしても、10年や15年は妻を1人者にする計算です。その年月を妻がいかように過ごせるようにするか、が気になったからです。答えは2つに一つでした。やれやれやっと死んでくれたか、と気楽になってもらい、余生を少しでも長く楽しんでもらえるようにすることです。さもなければ、私と過ごした日々を何かにつけて思い出し、それを心に言い聞かせながら生きてもらうことです。つまり、冥途で待っている私のもとへ持って行く土産にしようと励み、心に刻みながら生き生きと長生きしてもらうかだ、と考えました。
その時から、妻がこのどちらに転んでもいいように私は振る舞うようになっています。妻が一番嫌うこと、それは誰でも嫌うことですが、つまりヒトサマの性格(で悪しきと一般的に思われている部分)を改めるように、責めたてることにしたのです。
もちろん途中で、「もう愛想をつかしました」と妻が爆発するのも覚悟に入れて、徹底的に責め立てることにしたのです。たとえば妻の後始末の悪さを、人格を無視するかのごとくまで責めるのです。妻がキレルことも覚悟してぶち当たるのですから強いものです。それは、母が私にしたことの焼き直し、といってよいでしょう。「開けた襖は閉める」ことを忘れただけで母は「また、尻切れトンボ」と叫んで、二尺差しでたたきまし.た。何本竹製のサシを割らせたことか。「電気を点けたら消す」「道具などを取り出したら元の場所に仕舞う」など。
もちろん妻は黙ってはいません。自分のことはさておいて「孝之さんも」と、反撃します。そこが私と違うところです。ですからその後は「もちろん私も忘れることはある。それは100回に1回だ。君は2回に1回だ」と、「100回に1回どころではありません」と細かくかかってきます。私の場合は、忘れていたことを指摘されたら「謝っているはずだ。君は開き直る」と切り返すと、余計に顔を険しくしています。
この妻の反撃クセを何と直してほしく思いますが、なおるまではありがたく受け止めることにしています。それが、「日を追うごとに」とまでは到底行きませんが、「年を追うごとに」程度ですが、我ながら嫌になる私の性格を直す気にさせられるからです。
それはともかく、この2つに1つを決めた時から(妻が「キレない」限りのことですが)「わが家では」と、ヒトサマに自慢できることが1つ出来ました。それは、「わが家では夫婦喧嘩をよくします。ただし、そのたびに仲良くなっているはずです」とうそぶくことです。
|