小泉元首相に驚かされた

 

 政治家は「国家百年の計」を考えるのが本来の仕事ではないでしょうか。大いなる権力を有していた肝心の時は推進しておきながら、下野すると一転して反対しだしたこの態度を強烈に反省し、まず真摯に詫びてほしかった。 

 ならば政治家の威信を取り戻すキッカケになりえていたのではないか。未来に希望を見失う若者の比率が、日本は突出して多くなっていますが、それは政治家と大手企業経営者のありようが主因でしょう。もちろんそこに、それらの尻馬に乗ったがごとき日銀の総裁や、だらけて見えるJRなどの経営者の態度も含まれるでしょう。

 この小泉元首相の変身ぶりにがっかりしただけでなく、あらぬ腹(原発ムラから外されたのではないか)を探ったり、小泉流「落としどころ」の提唱、つまり原爆を造るに十分なプルトニウムはすでに溜まっているではないかとの呼びかけか、と勘繰ったりしています。

 それはともかく、天声人語に触れて「さすがはジャーナリスト」と思いました。同時に、「もんじゅ」と「ふげん」(文珠と普賢)という菩薩名を2基の原発に与えた人に対して、改めて敬意を表しました。きっとこの人は、原発を「だてやすいきょうで人間が手出しすべきではないシロモノ」と見ていたのではないでしょうか。

 今からでも遅くはない「小泉さん」、との気分です。自衛隊の海外派兵も反省し、9条を堅持すべきだ、と断固として叫ぶべき時です。さもなければ、いずれまたケロッと変身しなければならなくなる時が巡ってくるに違いありません。

 資源小国でありながら、あるいは資源小国であればこそ、わが国は資質が高い国民に恵まれています。豊かな文化的産物や森林資源などにも恵まれています。こうした国にとって、最良の安全保障は、中途半端な(アメリカや中国などを凌駕できない)武力などを携えずに、尊敬される国になることではないでしょうか。