恥ずかしい思いがした

 

 『ENEKEN』という機関誌を丁寧に読みました。これほど明快に、「人間は太陽の恵みの範囲内で生きるべき」と提唱する意見に意触れたのは初めてです。驚くとともに、深い敬意を払いました。科学的にかくのとく指摘され、「なるほど」お思ったのですが、かくのごとく言い切った科学者に今まで巡り合って来なかったことを残念に思いました。

 逆に、多くの科学者は、科学の力をその反対方向に活かして来たのではないでしょうか。その他の多数の人々は、素人にされ、直観力を疎外されてしまい、地球環境を破壊する共犯者にされて来たのではないでしょうか。

 私は幼児期に豊かな自然と七変人と呼ばれていた大人に恵まれ、三つ子の魂をリセットされるという幸運に恵まれています。おかげで、直観で「人間は太陽の恵みの範囲内で生きるべき」と信じてきました。その後、青年期にデザインを専攻するなど大いに麿っています。しかし、とどのつまりは、いわば生涯を太陽の恵みの範囲内で生きる工夫に賭けたようなところがあります

 それだけに、科学的な視点からこうした昔の意見に目をとめ、自信をもって紹介する新宮秀夫先生に感激です。

 『倹約と幸福』を読み進むうちに、「賢者には一言で足りる−自然真営道(しぜんしんえいどう)とは何か」という第21話にたどり着きました。どうして先生がこの一書を送ってくださったのか、そのわけが腑に落ちました。江戸時代の秋田・大館、青森の八戸で医業を営んでいたという安藤昌益という人の考え方が紹介されていましたが、200年以上もの時を超えたこの人の気持ちと共感できたのです。

 それは、鳥、昆虫、獣、そして魚が寄ってたかった裁判を起こし、人間のみが環境を破壊していることを指摘し、人間全員に死刑を命じているのです。この意見に脱帽させられとともに、恥ずかしい思いがした次第です。