心臓の働きを調べる検査ですが、おかげで楽しい話を聞くキッカケになりました。また妻と、亡き父を忍ぶキッカケにもなりました。
この24時間は、普通の生活をしてよいのですが、時系列の記録が求められます。まず、心臓が異常を示したときに押す記録ボタンがついています。次に、食事、トイレ、飲酒、タバコ、階段などの項目があるチェックシートを手渡され、これらに関わった時間を記録しなければなりません。ただし、風呂とシャワーの項目はなく、禁止です。
折悪く、台風がらみのせいでしょうか、9日の水曜日はとても暑い日になりました。10月も半ばが近いのに、京都だけでなく、夏日や熱帯夜を記録した地域が多々あったようです。そのようなわけで、汗をかきそうなことは控え、やや多めの飲酒の他は、おとなしくしています。
翌朝のことです。JRのプラットホームに立ってから、まったく心臓に負荷をかけていなかったことに気付きました。「何のための検査だったのか」と考えたわけです。列車が来るまでに少し時間がありました。そこで、階段を急ぎ足で上りましたし、最寄りの駅に着いてからは早足で病院まで歩いています。おかげで久しぶりで心臓がパクパクし、初めて記録ボタンを押しています。そしてニンマリした次第です。
この事情を看護婦さんに話すと、楽しい返事が返って来たわけです。「どなたも」この機器を着けている間は「おとなしくされますよ」でした。「それはどうしてか」と考えました。誰しも不健康と思われるのがいやなのでしょう。そのように考えた私は、帰途、最寄り駅まで車で迎えに来た妻と車中で、亡き父を忍んでいます。その思い出は、私が父に「良き医者」として紹介した人を、父が「ヤブ医者」と呼んだ時のことです。
私が中学生であった時に知り合った校医で、その後も社会人になるまで世話になっています。それは、学校での健康診断のたびに別途保健所まで呼び出されていた私の病気と関係しています。
健康診断の日は、生徒はクラスごとに校庭の一角で列をなして順番を待ちます。そして、次々と医者の前に進み出て、聴診器を胸に当ててもらったり、舌を出したり、目の上瞼をめくられたりして診てもらうわけです。
ある日のことです。その医者は早く到着し、ポツンと1人で腕を組み、天空を睨むようにして椅子に腰かけていました。多分私は、わが身の健康をとても気にしていたのでしょう。まだ特効薬がなく、死を覚悟させられる結核の初期状態・肺浸潤と私は診断されていたのです。
今となっては、どうしてそうなったのか記憶がありませんが、私はポツンと1人で腕組みしていた校医の前に座り、胸をさらけ出し、聴診器を当ててもらっています。問題はその後です。とても丁寧に診てもらった後で起こったことです。
丁重に頭を下げて校医の前から立ち去る私の姿を、1人の生徒が目ざとく見とがめ、「ただか?」と叫び、校医の前に飛んでゆき、大声で説教されたのです。「ただだから診てほしいのか。体が心配なのか」との怒鳴り声でした。
父は、健康に関して神経質で、医者好きで、月々のかかりつけの医者への支払は相当なものでした。ある日、これを見とがめた私は、校医を名医だと紹介し、診てもらうように勧めたのです。結果、父の「藪医者呼ばわり」に結び付きました。
「この程度で医者に来るものではない」と説教され、「ココロの病」とばかりに叱られたように感じたようです。私の狙い通りでした。
この度、この思い出を振り返ったわけです。そして私も、と妻と話しかけています。父にとっての名医とは、まるで今日の人間ドックのように、些細な疾患まで見つけ出し、治療を勧める医者であったのではないでしょうか。「それが大切ですよ」と妻は言いたかったようで、92歳まで物忘れもせず、散歩を欠かさなかった「お父さんを見習わなくっちゃ」と私に詰め寄りました。
そこでまた、私は疑問です。それが対処療法型の医療を蔓延させ、日本の保険制度を破たんさせかけているのではないか。やはり予防を優先し、ココロを強くしたいものです。
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