日中の暑いさなかに、白雲窯の個展会場を訪ねましたが、わけあって帰宅が遅れてしまい、訪ねてもらった網田さんと出会えなかったのです。なぜそうなったのか。それには骨壺が関わっていますが、それだけでなく「賞味期限問題」もかかわっていたのです。
網田さんには、素晴らしい竹のスダレをこしらえてもらい、届けてもらっていたのです。その頃はまだ村山光生さんと長話をしていた最中でした。
展示会場では、まず魅力的な小さな「蓋のある壺」が目に留まりました。ちょっと小さいけれど、骨壺に「もってこいだ」と思いました。ジーッと眺めながら、私の葬儀は「この壺を主にした形」にしてほしい、と考えました。決して、私の「賞味期限」が過ぎたことを問題にして「蓋のある壺」を「骨壺」と見立てたわけではありません。
また、柱にかける一輪挿しにも興味を惹かれ、迷いました。この一輪挿しを増築中の「渡り廊下の小さな出入り口」の近辺で用いたくなりました。そこでは村山さんの電灯の笠を用いますが、この一輪挿しは趣向が同じ焼き物のです。
まずこの一輪挿を手に入れました。そして、骨壺はどうするべきか、と躊躇しました。結果、思うところがあって、「妻と相談した上で」と決めました。
いきなり骨壺を買って帰ったら、妻を驚かせはしまいか、と思ったのです。いったん手ぶらで帰り、葬儀は「この壺を主にした形」にしてほしい、と言い出したらどうなるか。まず、十分話し合い、その上で買うことにすればよい、と考えたわけです。
この思案をしている間に、なぜか伊勢の遷宮が話題にのぼりました。20年毎の「にぎにぎしい遷宮」は、明治新政府が決めたことだ、とか。きっと、なんらかの都合が裏に隠されていたのでしょう。それはともかく、この話が400年以上も続く伊勢名物の菓子「老伴」の存在や、江戸時代における伊勢参りの実態などへと派生し、私は興味を惹かれ、時間を忘れたのです。
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