渡り廊下の西側にあるムベの棚の下に、このホタギの伏せ場を設けています。そのホタギにシイタケが出始めていたのです。
これらのホタギは、昨年用意したものですが、この夏の異常気象で、半分近くが使い物にならなくなっていました。シイタケ菌よりも強い「悪しき菌」に侵されたホタギが続出です。
異常乾燥がそうさせたのでしょう。もちろん防ぐ方法はあったと思います。そのために手はずも整えていました。当初はホースを引き込んで散水する方法です。これは散水に時間がかかるだけでなく、胸が張れなくなることに気付かされています。いざ散水する段になって、まき始めてすぐに、水道を使いますから渇水期に水道水は使いにくいことに気付かされたのです。
そこで、雨水を溜めて、活かす手も整え、水が溜まっていました。しかし、ホタギに水を吸わせる作業に時間を割かなかったのです。こうした時には、子どもがいたらよかったのに、教育の手段に活かせたのに、と思ったものです。
つまり、ナイトキャップの時間をホタギの加湿時間にしていたら済んでいたことです。それだけに、気分はさっぱりしています。高価なナイトキャップであったとの反省と自己卑下の教材です。これがまた、選択と決断の教材に活かすうえで、有効(=ヘリクツ)です。
それはともかく、新しいホタギですから立派なシイタケがでました。そこで、雑菌に侵されたホタギを取り除き、まず好ましきホタギだけ選んで、組み直しました。その過程で、辛かったことがありました。シイタケ菌と「悪しき菌」が鬩ぎ合っていたホタギです。
周辺の植え込みの剪定なども済ませ、日除けにとして活かす寒冷紗後の張り替えもしました。あとはブロアーでゴミ掃除をすればよいだけですが、それは後日に回しました。
このホタギの伏せ場の反対側で、新たな出入り口を設ける工事が進んでいるからです。この工事に、塾生の網田さんにボランティア参画してもらえることになりましたから、網田さんと相談しながら進めたいのです。
この渡り廊下を挟んだ東側に、現在、小さな出入り口を作りつつあります。ということは、この出入り口を使っていただく方々の目に、ムベ棚やホタギ伏せ場がまず飛び込む勘定です。
つまり、この出入り口は、渡り廊下の(アルミサッシの)ガラス戸を取り払って付け足していますが、渡り廊下の反対側にも同様のアルミサッシのガラス戸が入っています。そして、取り払った「ガラス戸」に替え「障子」を入れる予定です。ですから、この障子を開けると、向こう側のガラス戸越しに、ムベ棚とホタギ伏せ場がまず目に飛び込む勘定です。
この光景を見た方々にどのような印象を抱いていただけるか。できればなんとか最も望まし印象を抱いてもらいたいす。それは「ご苦労さん」「ガンバリましたね」といった気分になってもらえるようにすることです。おそらく、この光景を見ていただける方々は、今の世の、つまり工業社会の矛盾をご存じの方々になろうと思います。そうした方々にねぎらってもらいたい。
もしそれに成功したら、「阿波ファミリーのような生き方」に踏み出した方々。つまり私のような生き方に独自に踏み出した方々に見てもらいたい。とりわけ、踏み出したけれど、挫折しかけている方々に見てもらいたい。そして、「このような生活がしたい」、せめて「この生活もまんざらではないな」という印象をいだき、決意を改めてもらいたい。
この生活は、その気になれば誰にでも手に入れられることを前提にしています。過日、「阿波ファミリーの生き方」の「その後」を見学し、意を強くしました。問題は、世の中の風潮が、その気にさせない方向に進んできたことです。
たとえば、クリスマスを祝ったりハローウィンまで愛でてうろついたりしながら、おせち料理を作らなくなり、出費を増やし、民族としてのアイデンティティを見失う。たとえば、「雑巾」や「ご飯」ですら、炊きあがったり縫いあがったりしたものを求める社会になっています。つまり異文化にあこがれたり、「出来上がったものを見て」あれも欲しい、これも欲しい、という欲望をかきたてさせられたりする世の中になっており、その分お金を求めざるを得ない。
それが、好きでもない仕事に駆り立てて「お金の奴隷」にさせ、そのお金で「欲望の奴隷」にしてしまう悪循環に人々を追い込んでいます。その悪循環からの解放を求めて踏み出した人たちの目標の1つに、つまり「選択と決断」のキッカケにしてもらいた、と願っています。
そのようなことを考えたものですから、半日でバテてしまった次第です。
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