わが国の農政は間違っている。その弊害は、やがて悲惨な形で明らかになる、と私は睨んでいます。その想いで、この度も、ブラックベリーを植えることにしていた場所を、シカクマメの栽培場所に変更することに決したのです。
ドイツは隣国に歩いて行ける立地であるのに食糧を自給しています。国民のことを思えば、島国のわが国こそ自給体制を整えないといけないはず、です。たしか、初代西ドイツ大統領と記憶していますが、「食糧自給率が80%を切れば、もはや国家ではない」と言明していました。
広大な農地があるアメリカが、農業の工業化に走った気持ちは分かります。ドイツは「アメリカほどの農地がないので」と、ドイツ流の農政を採用しました。アメリカ流の農業の工業化を計らなかったのです。機械化は農機具会社を儲けさせるが農家を借金地獄に陥れる、との心配です。
加えて、農地を人間の食糧を作るための場所と視ないことにしました。つまり、野生動物の生息場でもあるとの国民的合意を得るために、憲法を変更した。そうした場所として農家が農地を守っていることを都市の人々が認識するように、農家を保護する制度を敷いた。その一環としてグリーンツーリズムが誕生した、とかつて当週記でも触れたように思います。
食糧の自給は、背に腹は変えられない問題ですから、国家にとっては最優先課題、真の安全保障問題ではないでしょうか。自給できなければ、経済戦争とか武力戦争に頼って手に入れるしかない。それは太平洋戦争の二の舞です。さもなければ、隣国などに尊敬される国になることです。
実は、このようなことを考えながら、ポットで育てていた小さなネギの苗を持って、曇天の火曜日に、どこで大きく育苗すべきかと思案しながら、畑中をうろついています。
シカクマメの根元には、チュウゴクホウセンカだけでなく、宿根ソバや野草も生えていました。それらを始末して(シカクマメはそのまましばらく残したまま)ネギの育苗場として活かすことにしたわけです。この変更はシカクマメを育ててみて分かったことと言ってよさそうです。花もきれいし、マメの形も可愛いし、育ったツルの姿も涼しげで優雅です。しかも、シカクマメに適した光量なのか、今も花をつけており、実を結んでいます。ブラックベリーの苗木を植えつける秋までの間を「空地にしておくのはもったいない」と思て(秋には枯れてしまう)シクマメを植えてみて「よかった」とつくづく思いました。
ちなみに、日本よりはるかに農地に恵まれたドイツですらドイツ流の食糧生産体制を採用しているのに、狭い日本がなぜアメリカのまねをしたのか、と残念に思いました。農薬、化学肥料、機械化などで農業の工業化をはかり、単作や産地指定を勧めるやり方は、やがて破綻します。原子力発電の二の舞です。こんなことを考えながらウロウロしたのです。
原発と言えば、余談ですが、今週の最もつらい思いは安倍首相が実質上、トルコへの原発売込みの顔になったことです。一企業のセールスマンになったことはまだしも、今のところ最も親日的な国に、最も無責任なシロモノを売リ込む顔になったことです。
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