スモモ好みの樹勢に逆らったこと
 

 

 遅ればせながら、スモモの切開手術をしました。切開手術というよりも、虫歯の治療のようなことをした、と言った方がピッタリです。

 ちょっとした怪しげなところを切開してみると、予想をはるかに超える痛手をこうむっていた箇所が2か所もありました。その朽ちた個所を、つまり壊死した部分をほじくり取り石灰硫黄合材を塗って消毒し、翌日、セメントを塗り込めば治療は完了です。

 予定通りにセメントを塗り込みましたが、雨水が流れ去りやすくするために、少々オーバー目にセメントを盛り上げています。このセメントの塗り込め方がまずいと、木部とセメントの隙間から雨水などが滲みこんでしまい、木部の細胞を壊死させ、またぞろ朽ちさせてしまいます。

 理想は、そうなる前に、塗り込めたセメントを覆い被さるように肉がまき(樹木が自己治癒し)、雨水などの忍び込む余地を失くしてしまうことですが、この場合はあまりにも患部が広すぎますし、自己治癒を期待しがたい部位ですから、盛り上げ方式を採用しました

 20か所近くもあった壊死部を点検して分かったことは、枝の切り落とし方がまずかった場合だけでなく、枝の張らせ方がまずかった場合に問題が生じていたわけです。後者の場合は、枝を水平に張らせるなど、雨水が流れ去りがたくなっていたことです。これはスモモ好みの樹勢ではないことを意味しています。スモモは、枝を斜め上方に向かって張るのを好みますが、私はこの木に与えた役目を果たさせるために、枝が水平に張るように矯正していました。

 しかも、今は亡き山野草の師匠が、水平に張った枝の上部にフウランを寄生させましたが、それを歓迎していたことです。フウランは降った雨水が流れ去りにくい箇所であり、喜んでいたことでしょう。しかし、スモモにとっては迷惑千万であったわけです。

 その元をただせば、このスモモに、私の都合で一石三鳥の特殊な役割を与えたことです。綺麗な花が咲く、おいしい実がなるだけでなく、もう1つの役目を主目的にしたことです。

 最初の小さな家を建てたときに、大きな夢を描いてこのスモモの苗木を植えています。この小さな家は(住宅金融公庫を活かし、就職の翌年に建てたもので)廊下らしい廊下を作るゆとりがなかったのです。しかし、いずれは広縁を建て増す夢を描いていました。そしてそのころには、この木が大きく育っており、夏場は日陰を作り、広縁で昼寝をさせてもらい、冬場は落葉して陽を通し、温室のようにして、広縁でうたた寝をさせてもらう夢でした。

 この願いをかなえさせるために、今のような樹形にする剪定を、毎年この時期に繰り返してきました。それだけでなく、もう1つ、異なる無知が生じさせた問題を抱えています。この問題には、次回佛教大学の学生を迎えたときに取り組もうと考えています。

 

怪しげなところを切開すると、予想を超える痛手をこうむっていた

 壊死した部分をほじくり取り

石灰硫黄合材を塗って消毒

セメントを塗り込みました

セメントを塗り込みました

盛り上げ方式を採用しました

枝の切り落とし方がまずかった

フウランを寄生させました