心を引き締め

 

 メールには「(夫の)宙八が撮ってきました」との写真が添付されていました。マクロビアンの秋の姿が映し出されており、まず「もう一度訪れたいなあ」との思いに駆られています。妻は(連れて行ったときに)しばしこのブランコを楽しんでいました。

 そして、1枚ずつ写真を開いてゆきましたが、「こんどこそ(散策して回るだけでなく)ヒノキ風呂にも入りたい」などといった願いを抱いています。

 橋本夫妻はこの広大な山はだに入植し、小さな住処を手始めに、井戸を自らうがち、畑やシイタケなどの伏せ場なども用意し、池も作り、生業を確立しています。

 それは、生きる根本(つまりお金やオートメーション機械、あるいは  や公助(健康保険や年金)に依存せずともまるで小鳥のように生きてゆける力)を身につける活動でしょう。ありそれはまた、いわば文明病にさいなまれたり、文明医療に見放されたりした人の期待に応えようとする活動でもあったのであろうとおもわれます。人間にとって、いかにきれいな空気、水、あるいは食べ物などが大切であるかに気付き、食事や食事法、あるいは呼吸や呼吸法などを改め、健康や生きる勇気を取り戻す手だての確立であったに違いない、と思います。

 やがて、家族7人が住まう家や、30人もが合宿できる研修センターも完成します。そして、おそらく余生の設計にも取り掛かったのでは、と思われる矢先に、福島原発の事故に巻き込まれたわけです。つまり、一転して最も恐ろしい空気や水などの生活空間になったわけです。もっと正確に言えば、公助に寄りかからずとも(小鳥と違って)人間として生きてゆくための装置をそっくり使い物にできなくされてしまい、丸裸にされ、生きるゆとりを剥奪されたわけです。

 こんな想いを馳せながら最後の一葉にさしかかり、さらに冷たい現実に引き戻されています。

 放射能汚染土を詰めた黒い袋が大蛇のように並べられ、ブルーシートを被せられ、放置されたままになっていたからです。「行き先は決まっていないのだろうか」とフト思いましたが、すぐに、「決まっているはずがない」と、気付かされています。

 原発問題は、太平洋戦争時の軍部のありようとそっくりそのままです。いずれも妄想にかられた人たちの爪跡、つまり国民の手から「真の生きるゆとり」をはく奪する足取りです。

 国民も、その妄想に浮かれ、「我が家も女中を雇えるようになる」と、他力本願になりつつあった、と聴いています。昨今も、オール電化まで進めてきましたが、その割引工事を受ける資格の1つとして、既設の太陽光温水器の取り外しを迫られたとか。

 それはともかく、原発問題は、妄想に駆られた原子力ムラの人たちの暴挙であったことがいずれすっかり明らかになるでしょう。さまざまな現実を丁寧に照らし合わせて考えると、旧日本軍と同様に、国民の心の隙間に漬け込み、国民を人質にとって突っ走ってしまった暴挙、大掛かりで巧妙な事件、と断言してよさそうです。

 この点に、やっと小泉元首相も気付いたのでしょう。財務省も「原発事故対策に安易な国費投入は国民の理解を得られぬ」と気づき始めています。

 公害問題では、わが国は「最終処分場」を決めずに事業を展開できないのに、放射能問題では「最終処分場」を決めずに展開が可能です。つまり、公害関係は問題を起こせば罰則が決まっているのに、原発では被ばく者を出しても原子力関連法上では一切罰則の対象にされません。公害問題も恐ろしいけれど、放射能問題の深刻さに比べるとはるかに小さい。にもかかわらず、その恐ろしさの捕え方も太平洋戦争時とよく似ています。

 たとえば、旧日本軍は都市爆撃でこうむる国民の甚大な被害を、関東大震災を体験することによって具体的に想定しています。ところが、いわば安全神話で片づけている。

 都市爆撃の加害者としては、中国大陸でそれを度重ね、多くの民間人を殺戮しています。余談ですが、アメリカも同じことをベトナムで繰り返しています。米兵の戦死は58,272人であり、悲しんでいますが、その陰で、ベトナム人はおよそ380万人死んでいます。

 それはともかくとしても、旧日本軍は、自国民が被害者となる場合の想定をしていながら、いとも簡単な安全神話で片づけている。つまり、絶対国防圏を勝手に想定し、その内側への敵軍の侵入を想定外にしており、しかるべき手を打っていない。

 また余談ですが、それだけに、中国をはじめ侵略した国々で、どれだけ多くの子どもや女性まで犠牲にしたか、その責任はどこにあるのか、私たちは考えておく必要があると思います。

 それもともかくとしても、自軍の安全神話を信じさせられた日本の国民は、原爆も新爆弾と偽られ、今もその被害者には妥当な手立ては施されていない。旧軍部の必勝の虚言に同調した職業軍人は、敗戦にもかかわらず、敗戦後の国税で、恩給などで報っている。問題は招集兵は粗末に扱われており、学徒兵にいたっては、戦死は5万とも15万ともいわれるだけでそお数さえ明らかされていない。いわんや、妄想に踊らされた国民は、都市爆撃などで被害者になっていても、何らの手も差し伸べられていない。

 


マクロビアンの秋の姿が映し出されており

池も作り

家族7人が住まう家

30人もが合宿できる研修センター

ブルーシートを被せられ、放置されたまま