その成果
 

 

 風呂が沸いたことを妻に知らせ、柄を新調した鎌を見てもらおう、と思って待ちかまえていると、やがて妻は居間に戻ってきました。妻にも、私に見せたいものがあったのです。この夜に仕上がったという人形です。このところ、妻の人形作りの時間が減っており、少し心配していたのですが、この人形を見て「杞憂であった」とすぐに分かりました。

 これまで妻は少し追い詰められていたのでしょう。毎年(1年おきに京都と東京で)個展を開いてきましたが、それにこたええる創作活動が厳しくなっていたのでしょう。私の3度の食事作りや2度のオヤツの世話が増えると、比例して来客の応対なども増え、主婦業として忙しくなります。もちろん、加齢に起因する体力的な一面も大きいことでしょう。

 もっと大きいことは、創作意欲を駆り立てる機会が減少していたのではないか。このところ妻は、庭仕事に割く時間を増やしています。それは、百貨店の松屋さんに、1年おきにではなく、個展の頻度を2年おきにすることをご了解してもらってから後のことです。きっと心をうまく切り替える機会を作りたかったのでしょう。それは生きるゆとりの希求でしょう。

 私の見せたかったものは、いわば「終の(住処になぞらえて仕上げた)鎌」です。刃の部分は母から引き継いだものですが、柄の付け替えはこの度の補修で4度目です。

 前回の3度目の柄は、速成でした。杉の木の細い部分を丸太のまま使っています。それは速成であるだけでなく、軽いことも利点にしていました。2度目の柄を(草刈りの折に草むらに置き忘れ)腐らせてしまい、付け替えざるを得なかったのです。

 そのときに、何か特色のある鎌にしたくて、軽さを求めましたが、その弱さが欠点となり、学生が折ってしまったのです。学生にとってはよき勉強になったと思います。

 この日は昼間に、雨を好機と見て一本の杖を作っていました。廃材の竹を活かしたくて、過日訪れたHCで「球形に切り出した木」を買い求めてあったのです。

 その余勢をかったかのごとくに、鎌の柄を付け替えに挑戦したのです。1年ほど前から干してあったカシの木の枝を活かし、2丁の手斧で木を削り、ノコギリで硬い木に切れ目を入れ、錐で穴をうがち、刃を差し込み、くぎを打ち込みました。たっぷり2時間を要しましたが、仕上がりました。これでまた、世界でたった1つの鎌を再現できたわけです。

 

この夜に仕上がったという人形です

終の(住処になぞらえて仕上げた)鎌」

一本の杖を作っていました