山本玄匠さん
 

 

 「よき己を発見した人」であろう、と思われる人に、また出会えました。74歳のこの人も「己の生業を見つけ出した人」でしょう。

 その生業に没頭中の日々、とお見受けしました。大学では染色関係の勉強をして、その分野の仕事に携わって生計を立てていた。紆余曲折しながら柿渋染めに出会い、これぞ生業とみて独立した。60歳のときに、がむしゃらの日々が始まったのではないでしょうか。そのころの作品を見せてもらいましたが、「、がむしゃらの日々でした」と描いてありました。

 その後、10年ほど前に深刻な病気に侵され、半身不随や言語障害に見舞われてしまった。今も後遺症が残るけれど、発病と闘病は「色彩」に関しても開眼させた。そして染色活動のあり方を革新させ、自然を畏敬する想いが一層高まり、創作意欲の塊のごときになった、とお見受けした。工房の中には、この10年ほどの間に生み出した反物が山のごとくにありました。

 今も柿渋染めを基本にしているけれど、闘病をキッカケにして色彩に目覚め、多彩な発色技術を手中に収めるところとなり、右手1本を絵筆のごとくに駆使し、抽象絵画のごとく染め上げた反物などを次々と生み出してきたのでしょう。

 そのパワーは驚くべきものであるにとどまらず、その評価は欧州などでも高く、この人ならではの創作活動に明け暮れている人だ、とお見受けし、羨ましく感じました。

 よき人に巡り合えた、と楽しくなった一日になりました。それは、瞳さんのおかげです。

 

「よき己を発見した人」と思われる人に、また出会えた

今も柿渋染めを基本にしている

抽象絵画のごとく染め上げた反物

抽象絵画のごとく染め上げた反物