歓談

 

 まず近況を報告しあいました。この夫妻のおかげで、私は食と健康について目からウロコでした。人類の食糧問題にもココロとカラダの両面から一家言を持てたような気分です。

 これ「お読みになりましたか」と、近く「買い求めなければいけない」と思っていた矢先の一書ももらいもしました。『ヒトに問う』です。「人」でも「ひと」でもなく、「ヒト」であるところがいいなあ、とまず思った一書です。新聞広告でこの出版をすでに知っており、しばし「うーン」とうならされた一書でもあったわけです。

 小泉元首相の原発廃止論も話題にしました。「進次郎をおもう父の遠謀であろう」ということで、得心しあっています。つまり、息子が総裁を狙う頃に、「よくぞ、オヤジは言っておいてくれたものだ」と、なるに違いないとの憶測です。

 そこにまず、網田さんの予期せぬ来訪です。その後、数分おきに他の2件の来客が重なり、嬉しい悲鳴をあげながら、目を白黒させることになったわけです。要は、それぞれ中途半端な応対で終わったしまったわけです。

 それはともかく、1人になった時に「これが政治、というものだろうか」と寂しくなっています。小泉さんの原発反対論の論拠は、「トイレなきマンション」などと揶揄されるなど、初めから分かっていたことです。権限があるときに打ち出さず、今ごろになって問題提起するのは卑劣この上ない、と思われたのです。要は、国民の税金の活かし方や、国民の安全にではなく、自分の都合を現実化すために「手に入れるべきは政治的な力」ということでしょうか。

 徳洲会や、それのおねだりした都知事の醜い動きもありました。

 それにしても、大変な一週間でした。心臓を3度にわたってバクバク言わせてしまい、ちょっと事情があって、少し心配しました。「これでいいのか」、「これがいいのか」、あるいは「いけないのか」、「体験的に学んでやろう」と考えながら、ココロを鎮めています。

 まず一回目は、「タマネギの苗を早く植え付け」たくなったときのことです。そのためには「畝づくり」が急がれる。また、網田さんは「柿は好みではない」との顔でしたので、何かアイトワらしいお土産を、と考えました。この3つの願いを、限られた時間内にいかに満たすべきか、と思案した結果、ピーナッツを掘り出し、その跡をタマネギの畝に仕立て直し、その苗を植え付けることでした。「これに限る」とピーナッツを掘り出し、網田さんを見送った後のことでした。

 日没と競いながら畝に仕立て直していた時のことです。

 最後は、週末です。エンドウの苗が大きくなり過ぎていたことに気付かされ、畝づくりを迫られた後のことです。一畝耕し、堆肥などをタップリと入れて畝に仕立て直し、さらに日没を待って、バケツ6杯分の薄肥えをまきました。土をならすためです。

 こうしておけば、翌日にでも苗を植え付けられます。

 掘り出したタマネギの苗と、早く畑に下ろさないといけないにエンドウのなえに急かされたような一週間になり、ココロとカラダの調和を少し、とはいえ心地よく、乱しました。正確に言えば、夢中になって乱しました。