翌日曜日の小旅行に備え、ルーチンワークを1日繰り上げてありましたが、他の来客や打ち合わせ予定はそのまま残してありました。その上に、飛び込みの要件が入ったのです。うまい具合に、心やすい人との約束と重なったものですから、むしろ張り合いを感じています。
まず一時規制の桑原さんが来客で、歓談中でした。その最中にトッテンさんからの電話で紹介された飛び込みの来客(は、ある業界の要人でしたが)を10分後に迎えています。両者に事情を伝え、うまくこなせました。桑原さんとは久しぶりの歓談で「独自性の発揮の仕方」など、楽しい会話を楽しみました。この仕方については幾つかのパターンに大別できそうです。たとえば一切他の人の意見や事例を参考にしない。そのためにそれらを見たり聞いたりしない、もその一つうでしょう。逆に、清濁併せ飲み、肥やしにしてしまうもアリでしょう。その要点は己の主体性の持ちようにあるのではないでしょうか。かんだんのあと、モミジのトンネルを楽しんでもらったうえで、見送りました。
午後のケースは、水島さんと新たなテーマも加えた打ち合わせがほぼ終盤にはいっていた時のことでした。休塾中の伴さんから電話があり、年子の2人、清太と藍花が自転車でそちらに向かった、との知らせでした。この後の約束は、網田さんを迎えて「竹の入り口」の仕上げ方を相談する予定でしたから、この飛び込みの「孫の守りもどき」は大歓迎です。
水島さんとは、まず「竹の入り口」と渡り廊下を仕切る障子のデザインを打ち合わせました。障子の格子を「どの程度の大きさにするか」の問題です。一般的な間隔ではなく、「妻ならきっと」と予測し、水島さんにそれを伝えた上で、私は一番粗い格子を選びました。そして、妻の意見を求めました。すると、妻は現場を見に行って戻って来ながら「お掃除は大変だけど」と断りをいれましたが、案の定一番小さい格子を選びました。それで決定です。
次いで、省エネを兼ねた居間の仕切りの検討に入りました。冬が来るたびに気になっていたことです。天井まで届く建具を4枚はめて、夏場は一か所に収納し、冬場は引き出して部屋を二分する方式です。炭酸ガスの排出量を減らすだけでなく、10年ほど活かすだけ命が持てば、わが家は経済面でも(工事代とエネルギー代金が)トントンになり、一石2鳥です。
晴太と藍花は丁度良い頃合いに到着です。先ず藍花が、遠方に自転車を置いて駆け寄ってきましたから抱きすくめました。次いで清太は、ものすごい勢いで走ってきたのですが、何とか受け止めることができました。それを見ていた藍花は、もう一度自転車のところまで戻り、改めてこんどは突撃です。このいずれがどうなったのか分かりませんが、眼鏡がつぶれました。ジャンパーに下に、首から老眼鏡をぶらさげていたのですが、ツルがちぎれました。嬉しい悲鳴です
そのようなわけで、予定の庭仕事ができそうにない、と考えた時でした。「そうだ!」とばかりに良い案が閃いたのです。子どもが喜び、子どもの将来のためになる真の勉強の時間にするアイデアです。きっと真の応用力を養うアイデアではないでしょうか。
「孫の守りもどき」らしく、芋ほりなども挟みましたが、それはノコ、カマ、あるいはペンチの使い方を会得させるテーマです。加えて、ミニ土室(氷室)とその効能を体感させ、記憶しておいてもらうことでした。霜で萎れたダチュラはノコで、ジンジャーとサツマイモの蔓はカマで刈り取らせ、堆肥の山に積み、トウガラシのフレームはペンチを用いて解体し、支柱を野小屋に収納する作業でした。2人は大喜びで、競うようにして手伝いました。
かくして、いずれは私が一人で取り組まなければならない仕事を片付けることができました。その最中のことです。イモ掘りの途中でした。藍花が時間を気にし始め、「3時までに帰らなければ」と言いだしたのです。でも、私がカマを使い始めると、私の手本が終わるや否や晴太が試み、その使い方を修正すると、藍花がとってかわって挑戦し、「3時に発てば」と言い出したのです。ついには「4時に家に着けば間に合う」となって10分前に自転車で帰って行きました。
網田さんと、竹の入り口(と呼ぶことになった新しい出入り口)周辺のアラ隠しを検討しているうちに、なぜかスダレ編みに挑戦したくなり、その旨を伝えもしました。
網田さんを見送った後で、清太兄妹と片づけたフレームがあったトウガラシの跡を、スコップで耕しています。こうしておけば、寸暇を見て堆肥などを入れて鋤き直せます。
この日の夕刻のことでした。秋田から「もってのほか(食用菊)」やセリも添えて「きりたんぽ」を送ってもらえましたから、早速夕食で楽しんでいます。
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