「スダレ編み」
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なぜか心惹かれていたスダレ編みに挑戦しました。好天に誘われるようにして、居間に編み台を設え、取り組みました。日のある間は縁側を背にして、夜分は編み台を半反させて取り組みました。 それは、先々週末に網田さんと「竹の入り口」の仕上げ方を相談した折に、スダレの仕様(糸間の幅のとり方、先と株の認識、あるいは松葉編み)などを学んだことも関係しています。 過日義妹は、居合わせた佳菜子や小谷さんと一緒に、網田さんから「巻きス」造りの手ほどきを受けましたが、その折の道具がまだ置いたままであったことも関係しています。 また、先週末に、スダレ編みに必定である糸巻を網田さんに届けてもらいましたが、それが大いに関係しています。また、今週、網田さんは編み糸とスダレの上下に着ける竹の部品を宅急便で届けてくれました。 それよりも何よりも、玄匠先生を迎え、終始つき合いましたが、その影響が大きかった。とりわけ玄匠先生と妻が何気なくい交わした言葉から、「なぜスダレ編みに心惹かれていたのか」が見えてきたような気分にされたからです。 実は、私は妻の後追いで網田さんのスダレを見る目を改めてきました。よくよく考えてみると、それはいつも私が警戒し、警鐘を鳴らして来たはずの文明病に、私自身がさいなまれていたわけだ、との気付きです。この事実に、この度はいやというほど体験的に気付かされたのです。 難しい言葉を用いたら、見かけなどの属性に惑わされており、本質を見抜く感受性に欠けていた、と実感させられたのです。言葉を替えると、機械が生み出すモノ、つまり機械の限界の1つ、均質性という非人間性に心を奪われていたのです。2つと同じでない生物の一員であるヒトであるわが身を棚に上げ、均質な機械の産物に惹かれていたのです。 玄匠先生と妻には共通すると点があります。ともに作品の写真撮影を自由に許していることです。それは、写真は見かけなどの属性を写し盗ることができても、本質を写し取ることはできない、との気付きがそれを許しているのでしょう。 まず、母が残した3枚の古スダレの分解から手を付けました。母はその一枚に墨書きで「平成7年7月14日、離れ西窓、\540」と記していました。1移枚目は座り込んで膝の上で行い、2時間ほどかかりました。その分解に随分時間を要しましたが、それは、編み糸になぜか心を惹かれたからです。ナイフでブツブツと切れば、10分と要さないのに、上手に糸をとりたかったのです。その色の褪せ方や糸のはげ方に心を惹かれたのです。もちろん、2枚目は30分も要さぬ方式を思い付き、3枚目は10数分でした。でも3枚分を解体するのに、半日を要した勘定です。 その後も、義妹たちが編んでいた時に見覚えておくべきことを心にとめておらず、紆余曲折の連続になりましたが、翌日の昼すぎに何とか思う所を形にできました。でも未完成です。分解するときに見習っておくべき最後の仕上げができていないのです。 |
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夜分は編み台を半反させて |
上手に糸をとりたかった |
2枚目は30分も要さぬ方式を思い付き |
何とか思う所を形にできました |
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