清太が「おいしそうだ」と思って採ったそのキノコは、期待していた通りに、食べておいしいヒラタケのまだ若い状態でした。そこで、バターでソテーにして食べてごらん、と清太に勧めて、帰しました。
前日、清太が唐突に訪れたのはルーチンワークの最中でしたし、後藤さんが安全のために、毒キノコである場合を考えて食べないように勧めていましたから、そのままにしていました。しかし、もし私の見立て(ビニール袋ごしに見ただけですが)が正しければ、清太にすまないことをした、と考えたのです。清太が「おいしそう」と感じ取った感覚を鈍らせかねません。
私が一番己を戒めていること、机の上で得た知識で物事を判断すること、つまり自己本位(無責任)になりかねないこと、を恐れたわけです。
つまり、毒キノコもありうるとの知識だけを駆使して、食べさせなければ、己に禍が及ぶ心配はない。しかし、それは清太が持って生まれた感覚を鈍らせないか、と考えたのです。後藤さんは、ジックリ清太の相手になっている時間がなかったので、万一の不幸に配慮し、その判断に私は安堵したわけですが、それだけで「一件落着」にしてよいのか、と考えました。
そこで、葉子さんに電話を入れると「捨てずに冷蔵庫に入れてある」とのことでした。「ハハーン」と、感ずるものがありました。この「ハハーン」については、いずれ少し深く考えなければいけない、と思っていますが、この時は即座に「そのキノコを採ったところに私を案内するように清太に頼んでください」と、願い出たのです。
結局、美味しいキノコだと確認してから、葉子さんに電話を入れると、清太は「スープにしても美味しい」と私に教えられたような報告をした、というのです。それは清太の想像だと思います。でも、その「想像」をした力が、いずれは清太の「創造」する能力を引き出させるのではないかと思われて、とても楽しい気分にされました。
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