1人で受け持たせ
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2人で被せる予定をし、20分仕事と見ていました。例年、レースカーテン地で作った極めて大きな1つの袋(寒冷紗)で4本の柑橘類(ユズ、ダイダイ、甘夏ミカン、そして温州ミカン)を覆い、別の大きな寒冷紗でキンカンを単独で覆ってきました。しかし、今年は温州ミカンを切り取りましたから、どの木を選び、いかに被せるべきかを思案していました。 結論から言えば、妻が1人で、とりわけ大きな寒冷紗を、ダイダイ、甘夏ミカン、そしてキンカンの3本に被せ、ユズを単独で大きな袋で覆うことになっています。 この大きな袋状の寒冷紗を被せるために、いつも2本の長いタケ竿を用いますが、この竿を私が取りに行っている間に、妻は妻流のやり方で、1人でダイダイから被せ始めていました。 私のやり方は、まず作戦を練ります。この作戦に要する時間を瞬時で終わらせられるような自分になりたい、その能力を磨くのが「人生の喜びサ」とでも言ったような想いを持っています。このたびのケースでは、とりわけ大きな袋で覆う木をどれとどれにするかを見定め、2人がそれぞれ長い竿をかざして、どの方向から「1.2の3」で一気に被せるべきか、を考えていたのです。ならば10分ほどの仕事で済ませられるはずです。 ところが妻は、勝手にやりかけており、そのやり方で「押し通させてほしい」と思ったようです。こうした場合は、私は「お手なみ拝見とばかり」に決め込み、手を引き、勝手に押し通してもらえるようにします。そして、見習うべき点の有無を真剣に観察し、作戦を練る時間を瞬時で済ませるための貴重な参考にします。それが、人生を多用に楽しむコツではないか、とさえ思っています。ワールドと短大を辞める気になったのも、案外この癖が出たのかもしれません。 それはともかく、どういうわけか、妻に対してこうした考え方を採用した場合は、いつも妻はやけに「ハッスル」します。このたびも、手こずりながら小1時間ほどかけてやり遂げていました。もちろんそれを見て、私は安堵します。それが真の学習だと思っています。創造性や応用力を身に着ける学び以外を私は学習とは見ていません。 なみに、この過程で妻は甘夏ミカンの収穫を済ませていますし、初見のカマキリの卵を見つけて私を呼んだりしており、しばし時間を割いています。ですから、その分は差し引く必要があり、所要時間は40分です。しかも、それを1人で成したのですから、実質上は妻のやり方が正解であった、と言ってよいでしょう。 今年は甘夏ミカンが初めての豊作となりました。樹齢は一人前の10数年ですが(木陰にされてきたために矮小で、これまでは実がついても数個ていどでした。しかし、1年前のこの果樹園の手入れが功を奏したようで50個も実がつき、そのほとんどを妻は収穫しました。 もちろん私は、結果や経過について一切コメントを挟まず、自分の仕事を続けますし、妻も通例のごとく被せ終わってもコメントを挟まず、次の仕事に移っていました。 妻の場合は私の死後、1人で15年ほど生きる計算ですから、思い知るべきところは「思い知ってもらいたい」と思って手を引きます。これまでに「思い知らされました」と言ってくれたことは一度もありません。この旅のような事例は稀ですが「どんなもんだい」とも言いませんでした。いつものごとくに1人でやり通しました。多分この調子で、1人でなんとかうまく生きてゆくことでしょう。 |
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ユズを単独で大きな袋で覆う |
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そのほとんどを妻は収穫しました |
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