この人の手から生まれた
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まだ知り合って間がない人ですが、この人の個展会場で、骨壺の作者として選ばせてもらいました。この度、それでよかった、とつくづく思っています。 約束通りの時刻に、その焼き物、桐箱、そして筆や落款などを携えたご夫婦を迎えました。目の前で、箱書きの内容や位置の相談をした上で手を付けてもらった上で、ピザで歓談の時間に移りました。骨壺との文字を書き込むことにしたり、箱の上と決まったりするまでに、相当の時間を要しました。もちろん村山さんのことですから冗談も飛び出しました。 3世代家族で、骨壺を用意した人は「長生きする」との話題を持ち出した折のはなしでした、息子夫婦が示したなんともいえない表情がしょうかいされました。ワインがかなり進んだ時点で、妻も冗談を飛ばしました。これもどこかで聞いた話です。長寿を願って水泳教室に通い始めた姑を、嫁が送り迎えするようになりました。その嫁が水泳教室の講師に託した願いごとです。「ターンだけは教えないでください」 なぜか和歌山県には原発がないことも話題になりました。村山さんによれば、フォークのグループ「阪大ニグロ」を作った中山一郎の功績で、原発計画の動きを頓挫させたとか。もちろん、その動きに大勢の和歌山の人たちが共鳴した結果でしょう。 村山さんが奥さんにしたためた手紙も話題になりました。奥さんは10歳ほど年下ですが、毛筆で、うたも読み込まれたその手紙が、プロポーズであったようです。 「作る人」を大事にしない社会や国も話題にしました。過日、新宮秀夫先生から「直耕」という言葉を学びました。この日のサラダはすべて庭の野菜で間に合わせていました。阿部ファミリーのお宅では、出てくるケーキなど食べ物だけでなく、ボウルなどの器もすべて手作りでした。私は、作ることを大事にしない個人についても興味を持っており、そのいずれもの行く末を気にかけながら、この話題に取り組んでいます。 サルは作らずに生きています。人間が造らずに生きてゆこうとすれば、お金に縛られるか、相当の権力や腕力が不可欠になります。そして、手段であるべきお金、権力、権限、権益、あるいは腕力などを目的化せざるを得なくなるのではないでしょうか。 だから、それが目に余るようになり、月給を払いながら「内部告発」を誘発したり、税金で事をなしておきながら「機密」にできる手段を目的化して国会を強引に押し切ったりせざるを得なくなるのでしょう。 このようなことを考えながら、力強く、自己責任の下に、自己完結性を高めながらひょうひょうと生きている村山夫妻の姿がよりくっきりと見え始めました。元はと言えば某商社で機械のトップセールスマンにとなりながら辞し、沖仲士(港湾労働者)になって汗をかいたりしながら、ついにはほぼ仕入れのない(その土地に根差し、自己責任の下に、自己完結性を高めた)陶芸家にたどり着きます。それだけに、私の目には本質と矛盾を見抜く名人のように映ります。 この思いを確かめたくなって、唐突に、村山さんに、これまでに「無駄なことをした」との思い出話がありますか、と問いかけています。例えば、何かを求めて行列するなど、何を無駄と考えますか、と言い換えてもよいつまらない質問です、と注釈を加えています。 このような会話を重ねながら、この人の焼き物を骨壺の見立ててよかった、とつくづく思った次第です。 |
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箱書きの内容や位置の相談をした上で手を付けてもらった |
この人の焼き物を骨壺の見立ててよかった |